2017/09/17 01:18
「インバウンド」という単語が一般化したのはここ2-3年のことだ。2020年の東京オリンピック開催を契機に観光立国を目指すという政府の方針もあり、日本にも多くの外国人観光客が押し寄せるようになった。その拡大に伴い民泊問題など、今まで直面する事の無かった新たな問題も出始めている。この点、タイは観光立国の大先輩だ。地理的には極東と東南の違いはあれどアジアのほぼ同じ立ち位置にあるのに対し、日本のインバウンドは同じ東アジアからの弾丸旅行需要が大半。一方のタイは昔からヨーロッパのバカンス客という上顧客を抱えている。滞在日数も落とすお金も極端に多いため、入国者数比でタイ3:日本2でも観光収入を比較すると倍程度も開きがあるそうだ。それだけにタイには優れた観光産業のヒントが隠れている。
たとえば文字の問題。タイではタイ・カダイ語族の言語であるタイ語が公用語として表示されるが、日本語同様、外国人観光客には暗号のような文字となる。バスの行き先表示、屋台の屋号、壁に掛けられたメニュー、すべてが暗号だ。しかし言葉の問題は次の瞬間一気に解消される。どんなにローカルな屋台にもパウチされた写真付きの指差しメニューが常備されているのだ。そこには簡単な英語訳の料理名があり、それが何者なのかもすぐに理解出来る工夫がなされている。
まだある。たとえばトゥクトゥクだ。セダンベースのタクシーが一般的な現代バンコクでも、その数は20年前と何ら変わらず元気よく走り回っているわけだが、メーターのないトゥクトゥクには一般タイ人客と外国人観光客に向けた「二重価格」がまかり通っている。実感でしか判断出来ないが、その差おそらく5-6倍程度の開きがあると思われる。当然、半額以下から交渉を始めようとするのだが、彼らはまったく話に乗らない。払えないなら乗せない、それだけだ。
チャオプラヤーエクスプレスにも同じ公式が当てはまる。一般船とツーリストボートの存在だ。
チャオプラヤー川はバンコクの街を蛇行しながら南北に貫いている。チャオプラヤーエクスプレスは水上を高速移動できる水上バスで、交通が麻痺する陸路から解放されるバンコクの大動脈だ。有名な観光名所、王宮やエメラルド寺院の名で知られるワット・プラケオ、暁の寺の舞台となったワット・アルン、涅槃仏で知られるワット・ポーはすべて川沿いに所在しているため、観光客の利用も多い。また、郊外のノンタブリーや対岸のトンブリーからの通勤・通学需要にも応えるため、便数も多く便利。船は120名前後(定員は不明、乗れるだけ乗せる)が乗れる屋根付きの背の低い木造船で、少なくとも私が最初に対面した20年前(当時でもだいぶ使用感があったはずだが...)と同一の船だ。当然、エアコンは無くオープンエア、たまに掛かる水しぶきがご愛嬌だ。船体後方のど真ん中にエンジンがあるので加速時の大げさな鼓動が腹に響き気持ちがいい。各桟橋ではロープ一本のみで手慣れた感じで船尾を着岸させ、乗客はリズミカルに乗船・下船することを求められる。最後の乗客が飛び乗ればまたすぐに離岸、腹に鼓動が響き出す。料金は船内で支払う。釣り銭が入った細長い銀の筒を持った車掌に行き先を申告、言われた料金を手渡すと釣りと一緒にチケットの紙切れをくれる。頻繁に抜き打ち検札が行われるので紙切れは下船まで無くさないように。船尾にオレンジフラッグをはためかせる急行船で14バーツ、日本円で50円しない。
20年前、この船に乗船するには王宮そばの桟橋を多く利用していたと記憶する。バスの始点・終点があったためだ。現代では多くの観光客はサトーンの船着場を利用する。唯一直上に都市交通BTSサバーンタークシン駅があり乗り換えが分かり易く市内全域からツーリストが集中するためだ。この桟橋には毎日多く押し掛ける外国人観光客が混乱しないように、桟橋入り口にチケット売場が設けられていた。そこには各国語を流暢に操れる職員が複数配置され、観光客が来るとフレンドリーに誘導してくれるのだが、彼らに黙ってついていくと自動的にツーリストボートへ誘導される仕組みになっている。
ツーリストボートはサトーン桟橋とカオサン通り至近のバンランプーを、途中有名どころの桟橋のみを経由しながらピストン式に往復するタイプの船で、シングルトリップは50バーツ、一日券で150バーツだ。料金そのものは決して高くはないが、問題は航行する区間が短いこと。そして「観光客」が一括りにされて扱われることが非常に不満。せっかくの現地のライブ感がまったく体験出来ない。私たちは郊外まで行きたい旨を主張して、一般船の乗船券へ取り替えてもらったのだが、これは観光慣れの弊害のように思えた。
船が離岸するとそこからはバンコクの大パノラマが始まる。川面の風が壮快だ。そして川の両岸の様子は20年前の光景と変わらないようにも見えた。目下全力で再開発中の市内東のエリアと違い、旧市街となる西側エリアは時が止まっているような静寂がある。さらに北の郊外へ進むとのんびりした本来のタイの風景を感じる事が出来る。
途中、当てずっぽうの桟橋で下船した。桟橋は仏教学校に所在しており、その先は川面の水上集落と飾らない人々の生活の場へと繋がっていた。観光地ではないバンコク郊外へも入っていけるのがチャオプラヤーエクスプレスの魅力だ。
バンコクの今を感じたいのなら、超高層バイヨークスカイタワーやサイアムスクエアの喧噪、スクンビットの高級ショッピングモールをハシゴすればよい。そこにはコスモポリタンとしてのバンコクの熱気がある。一方、貴方がもしもバンコクに混沌を求めるならば、チャイナタウンがオススメだ。
バンコクのかつての中心は王宮とその東隣に位置するヤワラーの中華街だった。タイで初めて導入されたエレベーターもここが発祥、当時の娯楽の殿堂である映画館や京劇シアターもすべてここにあった。タイ人も中国人も大好きなゴールドを扱う金行もここに集中していた。しかし今となっては道路事情も悪く駐車場も不足、一日中慢性的に渋滞し、機能不全。荒廃し脳梗塞のような状態になってしまった事で、良くも悪くも開発の手が一切入る事無く昔の姿を色濃く残した独特の景観が残った。ヤワラーは1980年代頃には有名な安宿街で、その後カオサン通りがメジャーになるまでの間、退廃的な空気を醸し出していた。その当時は売春宿なども健在だったようで、ネットで情報を探せばいくらでも当時の武勇伝が掘り起こせると思う。
普段食べ慣れているはずの香港人も遠路はるばる飛行機で殺到する格安のフカヒレ専門店、和盛豊(フアセンホン)はバンコク中華街の有名店だ。比較すれば格安の予算で普段口に出来ないフカヒレ鍋がいただける。ただしちょっと残念だったのは付け合わせのパクチーが山盛り投入される点か。点心にもチリソースが付いてくる点など、中華料理も郷に入れば若干タイ式に変化しているようだ。ちなみにヤワラーの中華は潮州料理が基礎になっている。日本では馴染みの薄い料理ではあるが、海産物の乾物など「うまみ」を持った食材を魚醤や塩で煮込む料理で、フカヒレの姿煮のほか燕の巣や魚の浮き袋のスープ(美味!)などが代表的。高級食材ではあるがアワビの姿煮などもこの料理に属する。日本で食べれば明らかに高級中華のカテゴリーのものを1/3程度の値段でいただく事ができる。
ヤワラーは金行が集中する大通りの裏へ入ると非常に道が入り組んでいることが特徴で、さらにその中に広範囲に渡って様々な専門市場が混在している。漢方薬局や乾物・生鮮中華食材、祭壇仏具など中華街特有のエリアの他に、反巻きの生地、カバンや靴、ビースアクセサリーなど服飾にまつわる問屋が密集するサンペーンレーン、ガラクタばかりの泥棒市場と呼ばれるクロントム、おもちゃ屋が集積しているマンコン通り、隣接したインド人街のバーフラット市場など。混沌と混沌がそれぞれ好き勝手に不協和音を奏でている。細い路地が縦横に重なり合った古びた中華街は、今もバンコクを支え続ける生活に密接した巨大マーケットだ。そして何とも言えない匂いを醸しながら魅惑的に旅人を誘い続ける。
そんな混沌とした街の直下では、進行形で地下鉄が建設中だ。現在フアランポーン駅までで止まっているバンコクMRTが、チャイナタウンから王宮方面へ延伸する。地下鉄開通により一気に再開発の手が入るのではないかと予想されているのだが、同時にこの混沌とした空気感も失われていくことが容易に予測できる。あと数年しか猶予がない。
美味しい屋台は夕方から集まり出し、名物のネオン看板は夜が映えるのだが、今回はタイミングが悪く夜のチャイナタウンを味わう事が出来なかった。次回順延だ。