2018/06/22 08:00
今回の旅の前に、久しぶりにクレジットカードを新調した。銀聯カードだ。
この中国発信の新しいスタンダードブランドは数年前からの爆買い中国人観光客の急増によって日本の繁華街でもよく目にするようになった。「中国銀聯」は2002年に政府主導で設立された企業で、当時まだ収入レベルでの与信や信用情報が低かった一般の中国国民でも利用できるようにと、銀行口座と直接紐付いたデビットカードとして広がっていった。簡単に言えば、中国で銀行口座を開設すれば発行されるキャッシュカードに、自動付加されるデビット機能がそれだ。中国という国はなんにしてもそうだが、世界標準に対抗して独自に掲げる「チャイナスタンダード」を作るおかげで、空港や有名レストラン、外資系の高級ホテルなどを除いてVISAやJCBといった国際ブランドが使用できない事が多い。一方この銀聯カードは中国国内では圧倒的にスタンダードだ。私たち日本人にとってこのカードを作る最大の利点は、中国の大手ホテルチェーン、例えば錦江之星や漢庭飯店、如家酒店といった大衆ビジネスホテルなどでも日本からの予約確保時のデポジットとして使用できる事だろうか。中国のホテル価格は年々上昇の一途だ。20年前は1泊5,000円もあればお大尽な部屋を確保できたものだが、日本が失われた20年で足踏みをしている間に中国が見る見る成長しもはや肩を並べる存在となった今、同じ5,000円では日本と同じ狭くてカジュアルなビジネスホテルレベルの部屋しか選べなくなった。悲しいがこれが現実。さっそく出来上がった銀聯カードを活躍させ、出発前に蘇州のエコノミーなローカルホテルを予約した。
上有天堂、下有苏杭(上に天国あり、下に蘇州杭州あり)
日本から蘇州へ向かう直行便はない。周辺には無錫と蘇州の中間地点に空港(苏南硕放国际机场)があるものの、あくまで小型の国内便主体のローカル空港のようで、ほとんどの旅行者はまず上海を目指し、そこから陸路で蘇州へ移動となる。例えば上海駅の位置を東京駅と仮定すると、浦東空港は成田空港、蘇州は小田原市くらいの距離関係にある。上海市街から蘇州は高速鉄道(和諧号)で25分程度で結ばれているが、浦東空港と上海市街間は地下鉄のみ。(上海リニアがあるのではとのご指摘を受けそうだが、あれは移動上の実用性には欠けるアトラクションにすぎないと思う)浦東空港から上海虹橋駅までは地下鉄で1時間程度がかかる。さらに重たい荷物を抱えて列に並び、切符を買って指定の列車まで膝を抱えて待つ事1時間...といったロスを考えると、時間はかかるが直通バスが最良の手段に思えた。
浦東空港の長途巴士(長距離バス)乗り場は1タミと2タミの中間地点にある低層の古びた建物で、そこへ入れば空港と直結している建物とは思えないくらい、いきなり中国ローカルな世界観を体感できる。行き先を見ると蘇州以外の都市、無錫や南通、杭州、昆山といった周辺都市にも路線網があるようだ。中型のバスは正午過ぎのどドンヨリとした上海外周の環状高速道を経由し、途中何度も和諧号に並走され抜かされながらも2時間半ほどで蘇州の新興エリアにある「文化博覧中心」という国際展示場に到着。さらにタクシーへ乗り換えて、夕方前には蘇州の目抜き通りである観前街周辺のローカルホテルへたどり着いた。
古都蘇州の歴史は上海よりも古い...的な話は専門家にお任せするとして、良い意味で裏切られたのがこの街の「汚さ」だった。北京の胡同と同じく、いにしえから脈々と積もる塵や埃...というような、歴史的時間軸の裏付けがある正統派の汚さが蘇州にもまだ存在していた。規則的に建っている公用便所(そう、中国が誇るご近所トイレのこと)、電線に吊り下げられた誰かの洗濯物、監督者不在の瓦礫の山、迷い込みそうな細く長い路地。どれをとってもノスタルジックだ。
平江歴史文化街区は観前街にほど近い蘇州ならではの江南水郷の風景。観光客向けのカフェや飲食店・茶館や商店が立ち並ぶ南北1.6kmに及ぶ景観地域だ。ここは蘇州を代表する商業地域ではあるが、変な派手さは全くなく、歴史的風貌を崩す事無く上手にリノベーションされた町並みが圧巻だ。そして夕涼みにそぞろ歩く観光客を横目に、一歩裏手に路地を入れば、そこにはいきなり庶民の生活がある住宅街が広がっている。川面に椅子を出して道行く人を眺めている地元の老人たち、夕飯の支度の音、音もなく現れる電動バイクは前後に子犬を乗せてゆっくりと走っていく。なんでもこの平江街区は800年前の横町の構造が今でも保存されているそうだ。そこには連綿と続く庶民の生活が広がっている。
そんな古都蘇州、夜の平江街区にも時代の波は容赦なく押し寄せていた。中国版Uber Eats、配達バイク便の多さだ。一年前の杭州の旅ではQRコードとスマホアプリによる電子決済、WeChatPay(微信支付)やアリペイ(支付宝)が中国全土を席巻していることに大変な衝撃をうけたが、今年の旅では大量の電動デリバリーバイクが街中を右往左往している姿に驚いた。中国のECサービスはもはや世界一の規模に発達したが、中でもネット出前の世界は電子決済の加速度的な発達と中国元来の食に対する情熱が混じり合い、競争が加熱しているらしい。
日本のUber Eatsサービス同様、デリバリーだけを主体としたバイク便があり、主に「饿了吗?(おなかすいた?)」「百度外卖」「美団外卖」の各ブランドが三大ネット出前として普及した。各社とも青・赤・黄のコーポレートカラーと制服があり、荷台のカゴの色も揃っているので一目でそれと分かる。チェーン店はもとより街の小さな食堂のような細々とした店でも三大ブランドのどこかと契約している。利用者はネットで気に入った店のメニューから好きなものをオーダー、しばらくするとこれら業者がお店から家の玄関先まで料理を運んできてくれる。依頼は一人前から可能で、宅配先は家庭だけでなく職場でも利用可。このため小奇麗なショッピングモールのような場所にも配達人が現れる。ショップの店員が注文するからだ。支払いはもちろんスマホによる電子決済で、前出のWeChatPayやアリペイが利用されている。この2大決済アプリは熾烈な加盟店獲得競争を繰り広げており、売上に応じ加盟店へインセンティブが支払われる。この仕組みが競争をさらに加熱させ市場を急拡大させている。
これだけ巨大な配達バイク便の仕組みが成り立つ理由、それは豊富な労働力だ。拡大し続けるバイク便市場に供給され続ける人・人・人。
彼らの正体は元々建設労働力として従事していた出稼ぎ労働者達(農民工)といわれている。中国は2010年頃から成長に陰りが見え始め、建設労働力の需要が減り続けている。余り始めた単純労働力が次に行く先として、この頃から出来た受け皿がECサービスの成長に伴ったバイク便市場だった。バイク便市場は6年連続で前年比50%超えの成長(2016年度データ)を続けている。
この国の単純労働力を補っている出稼ぎ労働者=農民工は農村戸籍を持つ地方出身者である。中国には都市戸籍と農村戸籍という二つの戸籍制度があり、この間には大きな格差が存在する。この制度は1950年代後半、都市住民の食糧供給を安定させ社会保障を充実させるために導入された。当初は都市4:農村6の割合でスタートし、農村と都市との移動は厳しく制限された。現在の中国13億人の人口構成は都市戸籍4億人、農村戸籍9億人で成り立っている。農民工は出稼ぎののちに都市に定住したとしても、戸籍は農村に置かれたままになるため社会保障が受けられない。出稼ぎ先で子供が生まれても、子供は農村戸籍のままなので都市の学校へ通う事ができない。学齢期になると親は都市に残るものの子供だけ農村へ帰されるので、親子が離れ離れになりその子の人格形成にも悪影響を与えてしまうといわれる。農民工は都市で生きる上で二級市民として不当に差別され給与水準も異なるため貧困から抜け出せない。そしてこの戸籍差別は一生ついて回る。
CRH(中国高速鉄道)の列車名にもなっている「和諧号」の「和諧」とは、胡錦濤政権時に打ち立てられた政策「和諧社会」から取られたものだ。「和諧」とは調和のとれた社会という意味で、格差是正のこと。習近平政権となった今、皮肉な事に沿海部の都市と内陸の農村の格差はむしろ広がってしまった。今の中国は地方出身者を外国人労働者同然の安い労働力として扱えてしまう特異な階層社会で成り立っている。問題は根深い。