2018/07/27 08:00
翌日からは仕入れ業務のために蘇州の街を路線バスで右往左往した。長らく十文字に2路線のみだった地下鉄も、ごく最近3路線目の「4号線」が開業しより便利になったようだが、蘇州中心部はバス路線が縦横無尽に発達している。しかも高頻度で運行しているので、改札の度にX線ゲートを通過しなくてはならない地下鉄よりもバスの利用が気軽でオススメだ。すでに蘇州のバスは7割程度の率で電気自動車が導入されていて、まだ日本ではあまり体感する事の無い電気動力特有の鋭い加速が味わえる。バスの車窓からは移り行く蘇州中心部の風景が堪能できる。蘇州駅は数キロ先からでもその大きさが分かるくらいに広大な建造物。斜塔で有名な虎丘山周囲は現在絶賛再開発中(地下鉄工事?)で、工事車両が行き交う風光明媚とは無縁な土埃が舞っていた。工事現場もその規模が違う。とにかく広大だ。
七里山塘景区は前出の平江歴史文化街区よりも商業色が強い歴史地区(正確に言うと明代や清代の蘇州の街並を再現した開発エリア)だ。山塘河とよばれる運河に平行して広がる長さ4kmの道がそれで、茶館や小吃店、工芸品を売る土産物屋が軒を連ねる。地元っ子が多い平江街と比較すると欧米系の外国人観光客の姿が増える。この山塘街、実は中間で立体交差する広済路を隔てて北西と南東で雰囲気がガラリと変わってしまう。南東が観光客向けの新しい開発街区、北西が地元客向けのもとからあった古い街区。もちろん注目は地元サイドの古い街区だ。車両がすべて閉め出され歩行区となっている観光サイドと違い、地元サイドは電動バイクが行き来し、地元のお年寄りを中心とした買い物客で賑わいを見せている。お年寄りが多い街は時の移ろいが少なかった証拠だ。両脇の商店もあまり改修された形跡がなく、この街の歴史の古さを物語っている。生活感丸出しの市場のような商店街の十字路を通り過ぎると、そこから先は庶民の住宅街となっていて、山塘河に跨がる幅の細い太鼓橋に上がると、運河の川面に向かって何足かの靴を洗う老婆やバルコニーから運河を眺める住人の姿、山塘河の真っ正面遥か先には虎丘山の塔の姿を見る事が出来る。蘇州は背の高い建物が少なく、古い建築物でも遠くから見通せる広い空が魅力だ。そしてゆっくりと流れる時間が最大の魅力だ。蘇州は中国のトップ5に入る経済規模を持つ大都市のはずだが、今回の旅で見た近代建築物は空港バスから降り立った金鸡湖景区で「文化博覧中心」と「東方之門」を遠目から見たくらい。蘇州の近代都市の側面はまるで見る事が無かった。中心地は長閑な時間が流れるいにしえの都であった。
蘇州での数日を楽しみ、高速鉄道で一路上海へ。最高時速300km/h、乗車時間はたったの25分、大都会の上海駅に降り立つと一転して雨がちの気候となった。前回からベースキャンプと決め込んだ南京東路の永安別館、旧東方テレビ塔である上海レトロな定宿に入る。
南京東路の一本南を並走する福州路は書店街や書道用品店・画材店が並ぶアカデミックなエリアとしての一面もあるが、老上海の老舗中華の名店があちこちに分布していることでも知られている。小籠包と蘇州麺が有名な「老半斋」、上海蟹の名店「王宝和酒家」、総合的な上海伝統料理の「沈大成」などだ。一般に老舗といえば敷居が高いと思われがちではあるが、このエリアの老舗は多層建てのフロアによって客層を分けており、実はカジュアルにも使い分けが可能なのだ。一階は食券制の食堂、二階はメニューを見て注文する形態の酒樓、三階以上は予約制の個室といった具合だ。狙い目は二階。上海蟹の時期になると二階席ですら予約で一杯になるようだが、私たちが訪問した5月は上海蟹とは無縁の時期であり、地元客が主体なのでゆったりと食事が出来た。上海蟹のオフシーズンとはいえ蟹関連の料理はある。蟹の粉入り小籠包「蟹粉小笼」、蟹ミソ入りの肉団子で浙江省の名物「蟹粉狮子头」、蟹味噌豆腐の「蟹粉烩豆腐」など、いわゆるペースト系の蟹料理だ。蟹まるごと一杯と違い、ペーストなのでお値段も優しく風味はバッチリ感じられるのでオススメだ。また蘇州麺の「老半斋」などは朝食にも向いている。朝も早くから開店しガラス越しに点心師達が仕込みをしている様子を眺めながらの朝食は一興。上海人は朝ラーメンに抵抗が無いようで、ご常連のお年寄りの団体がワイワイと麺を搔き込んでいたのは印象的だった。
黄浦区は上海でも下町と呼ばれるエリアだ。再開発の波に揉まれながらも地に這いつくばって生きている昔ながらの上海っ子の生活が垣間みれる素敵な場所だ。そんなオールド上海からローカルなオススメの場所を三つほど紹介したい。
一軒目は地下鉄老西門駅下車、西蔵南路を北へ歩く事数分。方浜中路を過ぎたあたりに大勢の買い物客で沸き返る市場がある。その名は万商花鳥市場。「よろずあきない」というとても中国的発想の名称にも目がいくが、ここでの注目は「花鳥市場」のタイトル。実は肝心の売り物は虫や魚、動物などいわゆるペットなのである。
中国人は全般にペット好きだ。映画「ラストエンペラー」で皇帝溥儀が玉座の裏にコオロギを隠し持っていたように、彼らは伝統的にコオロギを賞でる。風流な中国式の鳥かごで愛鳥の歌声を賞で、景徳鎮の白磁の鉢に水を張り富の象徴である金魚を賞でる。そしてこの市場にはそれら愛玩の対象とその周辺小物が余すところ無く売られている。入ってすぐに感じるのはその混沌とした熱気だ。ウサギなどのほ乳類の小動物も多少は取引されているようだが、主体は亀・虫・鳥・魚など体温の無い生き物ばかりなので、やはり熱の発生源は売買している人間そのものと思われる。売買品目の中でどうしても目を奪われるのはコオロギとキリギリスだ。野球ボール大の緑色の丸い虫かごが天井から何連も連なって吊り下げられているのだが、その一個一個にすべてコオロギが入っている。まさに「ギッシリ」という感じだ。事前知識がないままここに来てしまっただけに、気づいた時は背筋の凍る思いだった。このコオロギ達を携行するための素焼きの容器や水やり用の極小の磁器などが並ぶ専門の磁器店など、ここでしか見る事の出来ないアイテムもあり、お好きな方にはオススメだ。
二軒目は万商花鳥市場と同じブロック、方浜中路を豫園へ向かって歩くと現れる、万商二手貨交易市場だ。ここは古い携帯電話や電動工具、エアコンや室外機などガテン系の商品を扱う市場。「二手貨」とは読んで字のごとく、二度人手に渡ったもの=中古品のことを指す。置いてあるものは全体に埃を被った状態のものが多く、遠目でもなんとなくそれと分かる。そして買い物に来ているのはやはり高齢者たちが多いようだ。世の東西を問わずお年寄りはモノを大切にするからか、はたまた新しいモノの操作に慣れないためか。ここへ来る途中の道すがらにはまだ骨董に至る前の「ガラクタ古道具店」が集中しているのも面白い。
三軒目、いま来た方浜中路をさらに東へ進み、しばらく広がる広大な空き地(建設バブル崩壊で開発が頓挫した現場)を抜けた先、豫園商場入り口に建つ藏宝楼だ。建設バブルの最中、瓦礫となって一気に消え去った東台路旧貨市場に代わる現在の骨董品のマーケットがここだ。1階から始まる常設の店舗もなかなかドロドロとしていて通好みなのだが、ここでは階段を上って4階の特設会場を目指したい。そこには週末だけ開催される特設骨董市があるはずだ。板張りの広大なフロアを埋め尽くす人・人・人。フリーマーケットの様に区画内にゴザが敷きつめられ、そこに規則正しく並べられた骨董は真偽は定かではないものの面白いモノが多い事は確かだ。地方からの出店者が多いようで、モノと金が集まる上海ならではの骨董市といえよう。そのかわり交渉を楽しむだけの心の余裕は必須だ。英語は全く通じない。ある程度の中国語を操れる方なら楽しめると思う。
上海浦東発、帰路のANA便はビジネスクラスが多め=全体の座席数が少ないB787がアサインされ機内は満員御礼。限定ひとブロックのみのエコノミーの乗客は9割以上がガヤガヤとした中国人団体客という状況。日系の航空会社をチョイスしても全くのアウェイな状況に面食らった。隣席の女性は着席して早々、シートベルトサインが灯る中どこからか持ち込んだ泡凤爪(=鳥の脚のピリ辛漬け)を食べ始めた。右手にビニール手袋を装着し、左手にはANAロゴ入りのエチケット袋。泡凤爪を齧っては口に溜まった残骸の骨をエチケット袋に吐く行為をリズミカルに繰り返していた。ここは国際線の旅客機の中のはずだが、それはまるで内陸行きの夜行列車から抜け出てきたような光景だ。
どうやら彼ら団体客は上海の都会人とは明らかに異なる空気を持っているのだが、実はここにも戸籍差別という事情がある。都市戸籍の中国人は旅行の自由が保障されているのに対して、農村戸籍の中国人には海外渡航に際して団体行動が必須となるる条件が付加されるのである。この一団は日本行きの農村戸籍ご一行様というわけだ。彼らからは目一杯のおしゃれをし、日本行きを心底心待ちにしている雰囲気がひしひしと伝わってくるのだが、素行の節々に世界標準とはかけ離れた「チャイナスタンダード」が見え隠れする。そして飛行機は2時間後には日本へ到着してしまう。
旅は人を育てる。彼らはこの旅で何を学び、帰っていくのだろうか。この国は知れば知るほど目が離せない。