
台湾へ行きたい。しかし台湾はここ数年、空前の日本人観光ブームだ。
台湾の良さは人と食、そして風土。温暖な土地だけにのんびりした空気に包まれた南国の住人達はお節介で、時に優しく、自然な振る舞いで私たちに接してくれる。食欲が減退する暑い地域だから発達した「小吃」文化は街中の屋台を通じて食の豊かさを私たちに教えてくれる。九州ほどの大きさの台湾は環島(一周旅行)をするにもちょうど良い。機関車が客車を引いてのんびり走るオレンジ色の列車に乗って、東シナ海が広がる真っ白い砂浜を見たい。
そんな台湾へ行きたい。しかし今、大勢の日本人が怒濤のように押し掛けている...。
そうやって拗らせてしまう私たちは、あえて対岸の中国・アモイを旅先に選んだ。日本で通用するアモイという呼び名は中国語の方言である「閩語=閩南語」によるもので、普通語ではXIAMEN(シャーメン)と読まれ記載される。国際的にもXIAMENのほうが通用度が高い。アモイ=廈門は中国華南、福建省にある経済特区で地理的には台湾が目と鼻の先にある。よって歴史的にも台湾との交流が深く、文化や食に関しては源流といっても過言ではない地域である。世界中の華僑の故郷とも言われ、華僑・華人の中でもとくに多い客家系のルーツをたどるとアモイに行き着く場合が多い。今やアジア経済を牛耳る華僑を大量に輩出したアモイとはどんな街なのか。なぜ客家の民は陸続きの周辺地域へ移らずにあえて険しい海を越えたのか。台湾や東南アジアを回ってきた旅行者として、興味の先に必ずや登場する福建華僑を知るために、アモイは避けては通れない道なのかもしれない。
この夏の異常気象は多くの台風を発生させた。東京を直撃した台風13号は出発前日の段階で八丈島沖を時速15km/hのゆっくりとしたスピードで北上、このままでは当日の朝10時にちょうど千葉北東部=成田空港にまっすぐ接近する予報が出ていた。前日の廈門行きは暴風により見事に欠航し、このまま順当にいけば翌日の出発は絶望的と思われた。夜になり普段調べる事の無い欠航の場合の対応についてネットで情報を集めていた矢先、ANAからスマホにメールが届いた。「ご搭乗予定のフライトは台風のため、出発時刻が変更となります。」
台風一過、当初予定より1時間35分遅れで出発したボーイング767は、途中パイロットの巻き返し操縦のおかげで遅れを40分ほど短縮し廈門島の廈門高崎空港に到着。鄧小平の改革開放政策により1979年に制定された4つの経済特区のうちのひとつとして開港したであろうやや古めのこじんまりしたターミナルビルに降り立った。預け荷物をピックアップしたのち、ここでまず到着階の旅遊中心(ツーリストインフォメーション)へ立寄り、とあるツアーへの申し込み手続きをし、それが終わると街へ向かうためにタクシーへ乗り込んだ。タクシー待ちの行列には同じ便で到着した数人の日本人ビジネスマンが並んでいたが、この先帰国日の広州の空港カウンターまで中国で日本人に出会う事は無かった。
廈門は直径で言うと15-6km四方の丸い島である廈門島を中心に広がる街で、高崎空港は廈門島の北東に位置する。啓徳空港当時の香港カーブほどではないにしろ、航空機が街中すれすれに降下していくような情景と中層ビル基調の混み入った街が広がる旧市街と、南国リゾート風に規則的に植えられ管理された街路樹や計画的に整備された公園、珍しいカタチの高層ビルが立ち並ぶ新市街に分かれる。街の中心は島の西側、廈門駅からコロンス島行きのフェリー埠頭がある思明区の周辺で、中国中から集まった観光客で色めく中山路や台湾小吃街、ハイブランドの集まる中華城はここにある。旧市街の街並は他の中国の街と違いコロニアル風というべきか、マレーシアのショップハウスを思い出す独特な景観が面白い(後に調べたところ華僑が故郷に錦を飾るべくショップハウス風建築を廈門に持ち込んだものらしい)。再開発されたショッピングモールは巨大で冷房も完備され近代的だ。しかし一歩裏路地へ踏み込めば、ここは中国であることを思い出させる混沌とした世界がある。
廈門はいま、空前の中国人観光ブームで沸き返っていた。もともと中国人のハワイと言われていた老舗リゾートである海南島の三亜や海口はブームが落ち着いてきた事と、「中国の舌」といわれる南シナ海の領有権を争うための中国海軍の軍事施設が増加している影響があり、きれいな海を目指す国内旅行者はこぞって廈門を目指しているようだ。都会からも田舎からも押し寄せる観光客のお目当ては、廈門名物のB級グルメ食べ歩きとコロンス島の砂浜だ。B級グルメは街頭で食する「小吃」のこと。海に囲まれた廈門は牡蠣の養殖が盛んで(対岸の台湾中部・鹿港も同様)牡蠣オムレツや生ガキ、牡蠣で出汁をとった滷面(麺)、さらに東南アジア華僑から逆輸入された味である沙茶醤をプラスした沙茶面は廈門特有の小吃である。夜になると小吃を求める老若男女が街中にドッと繰り出し、台湾の夜市とは若干所作が違うものの、あちこちから調理の湯気や煙が上がる様は見ているだけでも楽しいものがある。一方、きれいな砂浜のある廈門大学やコロンス島といった観光地はもはや芋洗い状態。特にフェリーでしか往来ができないコロンス島では両岸の埠頭で毎船積み残しが発生するほどの盛況ぶりらしく、我々は早々に渡航を諦めた。
中国と台湾の違い、それを肌で感じるには一日で二カ国(二地域)を渡り歩くことがよい。日本ではボーダーツーリスム=国境観光が静かなトレンドになっているという。陸続きの国境線を持たず海に囲まれた国土を持つ日本にとって、国境の存在を直に感じる経験は希有な事だ。ここでいう国境観光は対馬と釜山(韓国)、八重山と基隆(台湾)、稚内と樺太(ロシア)といった文化的背景が似通っているが海を隔てた2地点間を往来する事で、お互いのルーツを探るという主旨だ。
そしてここ廈門の沖十数km、まさに目と鼻の先には金門島という台湾領がある。ボーダーツーリスムにはうってつけというわけだ。中華民国金門縣は大金門島、小金門島のほか12個の島から構成される群島で、国共内戦中は対岸との戦闘の最前線として砲弾が飛び交う軍事拠点だった。ゆえに長年戒厳令が発令され、一般の観光客の出入りが厳しく制限されていたそうだ。そして現在、小三通政策以降のこの島は穏やかな離島の風景を取り戻している。
廈門島の東側に位置する五通客运码头から金門島の水頭碼頭までは高速フェリーでおよそ30分の快適なクルーズで到着する。運賃は一人片道¥2,500程度、1時間に1本の高速船が定期的に往来している。もちろん両岸は国境になるため出国/入国審査がある。途中の海上には広大な牡蠣の養殖棚が広がり、廈門側は高層ビルが建ち並ぶ大都会だが目的地の金門側は南国の木々が茂るのどかな平らな小島である。
三通は2008年から中華人民共和国と中華民国で実施された政策だ。それ以前の両岸間では三通=「通商/通航/通郵」を含む交流の一切が禁止されていた。実際には経済的な連携として当時から中国本土への台湾資本の流入や人的交流も行われていたわけだが、台湾から中国本土へ渡航する場合は直行することは許されず、必ず一国二制度が適用される香港またはマカオ、もしくは第三国を経由しなくてはならなかった。この不便を段階的に解消するために2001年に試験的に行われた施策が廈門/金門島間の「小三通」であり、このルートに客船が運行されたことで国共内戦の分断以降初めて両岸の往来が可能となった歴史的な航路なのである。
30分に1本だけの港からの乗り合いバスを逃してしまったため、料金交渉ののち地元タクシーに乗り込んで金門の繁華街である金城を目指す。道中の車窓はまさに台湾の典型的な片田舎の風景で、途中途中に金門らしくカモフラージュに塗られたトーチカや高梁酒のオブジェがちらほら出てくるものの、感覚的には本島の東海岸側にいるような錯覚に陥った。しかし到着した金城の街には明らかに本島とは違う、独特な景観と期待を上回る純朴でノスタルジックな風景が待ち構えていた。その理由はこの島が軍事拠点だったからこそ長期の戦地管制が敷かれ工業化や都市開発が圧倒的に遅れたこと、本島と違い戦前の日本の直接統治を受けなかった事、そして中国大陸=閩南をルーツとした伝統的な家屋の形状や宗教風俗にまつわる雰囲気が本土よりも圧倒的に色濃い事にある。
まず日本人として目がいくのが風獅爺と石敢當の存在だ。風獅爺は沖縄のシーサーが立ち姿になって極彩色化したものだし、石敢當は魔除けという意味も含めて沖縄や鹿児島にあるものとまったく同じである。これらの閩南風俗は対岸の福建がもともとのルーツであることに由来する。福建に始まり金門・台湾・八重山・琉球・鹿児島までが描ける見えない線が見えてくるのだ。
次に食。金城の南門小街にあるノスタルジックな地元食堂「集成餐廳」にて。台湾ビールにベストマッチする台湾のおなじみ料理、滷味盛り(ルーウェイ)を注文したところ、本島と違いこってりしたモツが主体の福建滷味が登場。隣席に居たお節介なご近所さんがオススメしてくれたこの店のベストチョイスは點了鍋貼(焼き餃子)と酸辣湯。やはり外省人以降の大陸から持ち込まれた料理が主体であり、このあたりにも大陸に近い金門の独自性を感じるところ。
そして何よりも独特なのがこの金門の名産品の数々だ。干し牛肉は本来北方の山西省あたりの食文化だし高梁酒もイネ科のコーリャン(もろこし)を主原料にした華北地方の酒のはず。台湾の産品としては中国大陸を強く感じる品々だ。過去の戦闘で大量に降り注いだ砲弾の破片を再利用した包丁「砲弾鋼刀」はこの土地だからこそ出来るウソのような自虐的な品だし、様々な形状が特徴の高梁酒の酒器(酒瓶)はこの土地から取れる高嶺土という良質な陶磁器用粘土があるからこそ発達したもの。時には砲弾型、時には戦闘機型、時には戦車型など、酒瓶としては特異かつ物騒な形状の陶磁器が店頭に並んでいる。