金門の交通の要衝となる金城のバスターミナル。周囲にはATMのあるローカル銀行と郵便局、役所の出張所、タクシー乗り場、コンビニ一歩手前のくたびれた商店がまとまっている。バスが3台も並べばいっぱいになってしまいそうな吹きさらしのビルだ。発車間際にはジリジリとレトロなベルが周囲に鳴り響き、お互い見知った島民達がくたびれたバスに乗ってあちこちを目指して散らばっていく。観光に力を入れているだけあって旅遊服務中心が併設されており、島内唯一のターミナルとして公共トイレも完備しているが、この建物の後ろ側には「民防隧道」とよばれる施設の入り口がある。金城の街路地図とクロスオーバーする隧道地図によるとこのトンネルは全長1,200メートル、徒歩で出口を目指すと40分程度を要する。現在では観光資源として活用されているが、市街中心が攻撃にあった際に島民が街の外へ安全に避難できるよう掘削された避難道兼防空壕なのである。そう、この島は間違いなく戦闘の最前線にあったのだという負の記憶だ。
廈門への最終便18:30発の船はすでに満席のため2本前の17時発を目指して水頭碼頭へ駆け戻ると、廈門行きを待つ大陸の客でごった返していた。香港同様、水客として両手一杯の荷物を持ち我先に審査場へ急ぐ人々。出国後のエリアには立派な免税品店が併設されていてここでも爆買いの手は緩まず、復路の「和平之星」は大量の荷物と声の大きい大陸の人々とともに満員御礼となった。やはり日帰り観光だけでは金城の街のみしか訪れる事が出来ず、異郷で富を得た華僑が故郷に錦を飾った瀟洒な洋館群や閩南古民家の集落、長期の戦地管制ゆえに手つかずとなった自然環境など、見るべきスポットを多数スルーしてしまった。もったいない事この上ない...。
今年8月5日、廈門から金門へ向けて中国側から水を供給する長さ約16kmの海底送水管が完成した。離島だけに長年水不足に苦しんできた金門島だが、10km先の福建省から毎日3.4万トンの河川水を安定的に買い取ることで水の悩みからは解消されることとなったようだ。中台砲撃戦の中でも最大の戦いとなった金門八二三砲戦から今年でちょうど60年が経過した今、一昔前からは想像すらできなかっただろう静けさがこの豊かな島を包み込んでいる。
福建華僑の源流の一つに客家の民がある。彼らは福建特有の山深い山地に円筒形や四角形の「土楼」を建てて集団で生活し、その中で外敵から家族を守り家畜を育て、周囲の段々畑で食物を栽培して生活している。周囲を深い山に囲まれた地域だけに地域間の方言がキツく、狭いエリアながらお互いの言葉が通じない事もあるそうだ。そんな土地だけに横同士の交流は少なく、新天地を山を下った海の先に求めたことで、台湾やフィリピン、マレー半島からインドネシア、日本、ハワイ、豪州、北米、遠くは西インド諸島まで世界へ繋がる華僑ネットワークを築き上げた。
そんな源流の山間部を訪れるには沿海の廈門から内陸へ3-4時間程度入って行く必要がある。個人手配の旅行にはハードルが高めなことは否めない。車のチャーターは物価も人件費も高くなってしまった中国沿海部では現実的な話ではないし、内陸の永安行きの長距離バスは古く汚く、何より安全性に疑問がある。日本人向けの現地ツアーは高額かつ日程的にフレキシブルではない。そこで白羽の矢が立ったのが中国人向けの現地発ツアーだ。土楼を目指す日本人個人旅行者の先人達が数多くチャレンジしていて体験談が多かったことも決め手の一つだった。到着初日の廈門高崎空港のツーリストインフォメーションに立ち寄ったのはこのツアーへの申し込みが目的だった。
私たちは職業柄、数字のやり取りだけは濁り無くスムーズに理解し話すことも出来るのだが、残念な事に一般的な中国語は理解することも話すことも出来ない。そこには厚い言葉の壁がある。ただし、最近のテクノロジーの進化はこういった言葉の壁を少しずつながら取り除いてくれるようになった。そこに介在するのはスマホの存在だ。
WeChatは中国版LINEとしてコミニケーションツールの代名詞となっている。ペイメント機能が中国を席巻していることはすでに何度も書いたが、その便利さからWeChatの入ったスマホはすでに財布をも駆逐し眼鏡の次に重要な生活道具の一部と化した。日本では考え辛いが田舎住まいの高齢のおばあさんですら平気で使いこなしてしまう。この人民総徹底化があるおかげで、スマホ翻訳が行く先行く先で成立するようになっているのだ。先の空港のツアーデスクでは行き先、プランから料金の清算方法、迎えのスタッフとの連絡方法まで、すべてスマホ翻訳とWeChatアドレスの交換で申し込みが成立してしまった。催行前日にもバスガイド氏から直接電話があったものの、相手がしゃべれないと分かるとすぐにWeChatでピックアップ時間と場所を指示してくれた。
土楼行きは朝7時10分、指示時間より数分早くナンバープレート2837の青い大型バスがホテル反対側の路上へやってきた。ドアが開くなり「来来来!」とのかけ声で車内へ回収され、乗車率4割程度のバスに乗り込んだ。ハイデッカー型のバスはトイレなし。パッと見は豪華風だが細かく見るとそれなりにあちこちがくたびれており、通路には小型のドラム缶=ゴミ箱が居座っている。ドライバーはトラック上がりの荒くれた風貌、一方日本語で「ペットの子犬」と書かれた黒いTシャツを着たガイド氏は20代後半の身ぎれいな廈門人だ。その後も1時間程度をかけて廈門島内のあちこちのホテルから参加者をピックアップ。結果総勢40名程度が集まった団体バスは海沧大桥を渡り廈門島をあとにした。車内ではガイド氏から一日の行程の説明や参加者の確認点呼があり、中国各地から集まったあなた方参加者の中に「听不懂」(ting bu dong=言葉の分からない)の日本人2名が参加しているよ、的な告知があり一瞬車内が響めいた。
途中、永安までの道中は高速道路が4割、一般道が4割、山道が2割。ガイド氏による漢方薬の車内物販があったりクイズコーナーがあったり飽きさせない工夫もありつつ、契約ドライブインでのトイレ休憩を挟みながら片道約3時間程度で山間の大型土産物店へ到着。福建名産のお茶の試飲会のあとに別会場で10人1卓の大皿料理食事会へ流れ、土地の名物である客家料理が並んだ。中国人ツアー参加者同士、同じ釜のメシを二人の日本人と囲んだのだがお互い適度な気遣いやお節介などもありリラックスしながらメシを搔き込んだ。
食後、再びバスで山を登る事約15分。車窓から見る山村の風景の中に大小様々な土楼が現れ始めた。初めての光景に感動していると福建土楼の入り口となる南靖土楼群受付センターに到着。乗客40名のうち私たちを含む15人程度がバスを降りるように促され、土楼案内担当の別の小柄な現地青年ガイドにバトンタッチ。廈門からの青いバスは別の土楼へ向かったようだ。さらに後続の別のツアー団体何組かが合流し総勢30名程度の団体が出来上がった。バトンタッチした青年が旅行代金に含まれる入場券を取りまとめ全員ゲートから入場、彼に従い土楼の山間内を走る白いマイクロバスに乗り換えた。ちなみに南靖土楼群の共通入場券は100中国元。今回のツアー代金はひとり210中国元。ガイド料や保険、往復のバスや食事費用が含まれているのでどれだけお得かが分かるだろう。
白いバスは曲がりくねった山道を20分ほど走行し、途中青年ガイドはクイズを交えながら土楼の概要を説明していたようだ。そして到着したのが「田螺坑観景台」だ。眼下に田螺坑土楼を見下ろす絶景の展望台で、この土楼が「四菜一湯」と言われる所以が良くわかる。田螺坑は一つの方形土楼(一湯=スープ)を四つの円形土楼(四菜=料理)が取り囲むように建っている。米中が国交を樹立する以前、アメリカは衛星写真の解析の中でこの土楼群を核施設のミサイルサイロと誤認したらしい。確かに上から見ると納得する、面白いエピソードである。展望台から土楼へ続く遊歩道を下る際、草葉の陰から一眼レフカメラで写真を撮られた気がしたのだが、5分ほど下った先の売店でキーホルダーになった自分の姿が10元で売られていたのには面食らった。こんな山間部の土楼にWi-FiやBluetoothが飛び交っているというミスマッチさだ。
四菜のうちのひとつ「和昌楼」は3階建ての円楼でこじんまりとしている。中は完全に観光地化していて、見学が出来る地階には土楼居住者がそれぞれ露店を広げている。売り物は福建の鉄観音や紅茶、紙巻きしてくれる煙草、土楼型のマグネット、古道具、干し椎茸やひょうたんなど。2階以上は居住区域なので立ち入りは禁止。洗濯物が干されたり居住者同士が立ち話をしたり、ライブな生活感がある。一湯は唯一方形の「歩雲楼」にも立ち入ってみる。円楼と違い空が四角く切り取られている以外は円楼と同じ。各階は26コマに分かれており、一家は垂直方向のコマを地階から上階まで占有している。大小はあれど土楼の基本構造は何処も同じである。長方形か円形で、180cm以上ある厚い土壁に覆われ、外部に解放された扉は一箇所のみ。この扉も鉄板で補強された厚さ13cm程度の板戸が使用され鉄壁の守り。各コマは同じサイズ、同じ材質、同じ窓や扉で出来ており完全に対等に分割されている。土楼は一族郎党が数世代で占有している。すべての親族が一つの屋根を共有することは一族の統一と保護を象徴した。一族が大きくなるとすぐ近くに土楼を建て増ししたりして土楼群を造っていった。実は福建省には20,000を越える土楼が存在しているそうだ。うち、ユネスコが「福建の土楼」として登録されたものは3,000に過ぎない。田螺坑土楼群の周囲は険しい山地だがきれいに棚田が整備されていて、生え放題のバナナの木とのコントラストが一種独特だ。晴れ渡った農村の牧歌的な風景がどこまでも広がる。