2018/11/25 08:00



ガイド氏に促され再びバスに乗る事15分。今度はきれいな公衆トイレを完備した大きな駐車場に到着した。そこから歩く事5分、次の土楼はのどかに流れる川沿いの円楼「裕昌楼」だ。先に見た四菜一湯の「和昌楼」よりふた回り大きな円楼は、「東倒西歪楼」とも言われ中国でも有名な奇楼である。字の通り、1308年の建立中の測量のミスで歪みが生じ、柱を斜めにしてその歪みを補ったため3-4階の支柱構造がジグザグになってしまった。3-4階の最大傾斜角は15°に達するのに、それでも700年以上風雨に堪え今も変わらぬ姿を残しているのは見事のひとことだ。5階建て、各階に50コマを有する立派な土楼だ。中庭には祖廟があり、祖先崇拝、祭祀、会議、結婚式、葬式など団地の集会所的な役目を果たす。

ここでは40分ほどの自由時間があり、最初は熱心に写真を撮ったりおもての川越しの土楼を眺めたりしていたが、どうにも時間が余り気味に感じたころ、遠巻きに見守っていてくれたガイド氏が我々をお茶に誘ってくれた。聞けば彼はこの裕昌楼を建立した劉家一族の末裔で、今もここに住む住人なのだそうだ。お茶屋さんも同じ劉家一族の親戚で、買わなくてもいいからゆっくりしてねと福建紅茶を煎れてくれた。かまどのそばに小さな井戸があり、お茶を入れる水は水深1メートルのこの井戸から汲まれたもの。かまどのある台所は25コマあり、コマ占有の井戸があるのだそうだ。三食の炊事や洗面はすべてこの井戸水が利用されていて、今もこの暮らしは変わらない。まろやかな井戸水紅茶の味がやさしく沁み入った。

次に目指すは土楼群のある塔下村という集落。山中の川沿いをバスで10分入った先にあるのどかな集落で下車、土楼水郷とよばれる片道2km程度の渓流沿いの道中を徒歩でブラブラしながら徳遠堂を目指す。徳遠堂は客家の一族である張氏の家廟で、科挙(清の時代まで続いた官僚登用試験)に合格した張氏の数を示すの20本の石の旗(石龍旗杵)が立つ奇景で有名な廟。大量の爆竹の燃えかすがあり現在も慶事があれば現役で使われていることが分かる。廟の横壁にさりげなく飾られた横長の集合写真があった。今のようにパノラマ撮影の技術が無かったであろう時代に撮影された超横長の写真には「世界張氏総会」のタイトルがあり、横に広がった老若男女300人は越えるであろう世界中の張氏がこちらを見ていた。海を越えた客家の一族は、今も故郷を忘れることなく世界中で活躍している。

中国語が分からず説明の際も蚊帳の外にいた私たちを気遣った裕昌楼在住の現地ガイド氏は、移動のバスの中や散策途中でスマホに解説を書き込み、それを日本語に変換して密かに私たちに送信してくれていた。長文なのに詳細でたいへん分かりやすい内容の解説文のおかげで、不安も無く見学を終えることができたのは彼の機転と親切心の賜物だ。彼が言うには土楼群は山間部にあるため夜は星空がきれいらしい。たしかに街灯の類いがないので周囲が真っ暗になる事は容易に想像できる。次回再訪の際は田舎で夜を過ごすことも悪くないかもしれない。

来た道を下山すること30分で再び南靖土楼群受付センターへ戻り、見事な連携で廈門へもどる2837の青いバスに回収された。土楼のガイド氏とはここでお別れ。帰路のバスの中は全員心地よい疲れに包まれたようでカーテンも閉まりあちこちから寝息が立っていた。往路同様、同じ契約ドライブインでのトイレ休憩ののち高速道路を経由して廈門島の明かりが見えたのが夜19時ごろ。ピックアップ時の反対の流れで各ホテルを経由、解散となった。最後まで気遣いを忘れなかったガイド2名や同行の中国人観光客達に感謝だ。彼らのおかげで有意義な土楼ツアー体験となった。


古玩城は中国のどの都市にも必ずある商業施設だ。読んで字のごとく、骨董から古道具、場合によってはガラクタまでを扱う専門の商場のこと。古くて小さいアーケード型の商店街から大型の最新ショッピングモール然としたもの、北京にある潘家園舊貨市場のような超巨大なものまで様々な形態がある。中国には玉器店が固まるように集まっている地域がどの都市にもあり、大概その近辺に寄り添う形で古玩城が存在する。廈門の場合、大規模な古玩城が島内に3箇所あるようで、どの施設も街の中心部に鎮座している。中国人と美術との距離感の近さは羨ましくもあり、彼らには日常の中に古玩を賞でる習慣があることがわかる。

廈門古玩城は土楼ツアーでも渡った海沧大桥の廈門島側の付根、ジャンクションの大きなループ橋の中に所在する中規模のビル型タイプ。山肌に建つ骨董中心の高級な館と、道を隔てて反対側にあるループ橋の下に広がる野外型の古道具・ガラクタの館に分かれている。百度地図によると滞在中のホテルがある中山路近くの停留所から路線バスで1本、廈門の均一料金バスは1元なので日本円にすれば約16円。乗車時間20分で到着することがわかった。たった1元で行ける美術鑑賞だ。

館の開館時間は10時、閉館時間は20時。このルールはどの古玩城でもほぼ共通している。ただし実際の開店時間はテナントにより様々で、おしなべて開店は13時から閉店は17時くらいといったところ。コアタイムは4時間程度しかなく、開店していても日に数組の来客しか期待できないであろう。一日中優雅に茶芸をしながら煙草をくゆらし、近所の同業者との閑談に熱中している。ガラス張りの各テナントは高級ギャラリー然としていて照明も落とされている。ある程度の売上げが無ければこういった優雅さも維持出来ないだろう。果たして彼らはこの生業で本当に食べていけているのだろうか?毎度人ごとながら心配になるのが古玩城の人々だ。

そして古玩城にも地域により得意な品揃えに違いがある。ここ廈門には石彫が多く集まる傾向がある。顕著なのが廟祠や伝統家屋の入り口に鎮座していたであろう獅子像や石敢當の多さだ。中国では文化大革命の混乱期に宗教弾圧があり多くの道教寺院が破壊された。それは仏教しかり、儒教もしかりだ。混乱期にあっても隠されて難を逃れた宗教美術もあるが、絶対数は少ない。しかしここ福建は険しい山間部により周囲から隔絶されたという地理的要素があったこと。そしてなにより海を渡った福建華僑達が、長い歴史の中で彼の地で成功したのちに福建の故郷に錦を飾るために建立された閩南伝統の屋敷や廟祠が多数存在したことが、この地の古玩城の姿に現れているのだと思う。親族は散り散りになっても心は遠い故郷、福建にある。それは福建華僑の古き良き伝統として、これからも世代を超えて未来へつながっていくのだろう。