文明乗車、従我做起(文明的な乗車、自分から始めよう)
向前一小歩、文明一大歩(前に小さい一歩を進めば、文明への大きい一歩になる)
これら標語は中国を旅するとあちらこちらで目にすることができる。中国共産党が掲げる赤い政治的スローガンとは別で、マナー標語に当たるものだ。例えば上のものは地下鉄を待つホームに、下のものは男性用の小便器の目の前にある標語だ。ひとつは乗車口に我先に殺到し乗り込もうとする人々対して「降りる人が先」であることを示した乗車マナー標語、もうひとつは一歩先へ出て小便を床にこぼさないように=トイレをきれいに使おう...という意味の標語で、アームストロング船長の月面着陸競争の際の有名な言葉をパロディーとして使っている。そして共通点は「文明」という二文字だ。文明的に振る舞いましょう。あなたが変わればこの街にも文明がやってくるのです。
廈門発、深圳北行きCRHはスウェーデン国鉄が誇るレジーナ号をベースに開発されたCRH1だった。このタイプは最初期型のCRHのため今となっては技術が古く最高速度も200km/h止まり。JR東日本の新幹線がベースになったCRH2以降の高速型(最新は第7世代のCRH380まである)と比較して車内設備も軟弱で椅子も硬い。広いCRH路線網の中でも初期に整備された深広線(深圳〜広州間)で集中配置されたCRH1は、残念ながら廈深線(廈門〜深圳)でも主力の車両ようで、これから4時間の長い道のりを一緒に過ごす相棒となってしまったようだ。
今や中国の鉄道の切符は日本からでも予約購入することができる。中国の大手旅行会社のサイトを利用すれば外国からでも出発の一ヶ月前から予約と座席確保、支払いができる便利な世の中となった。あらかじめ長距離の移動になることが分かっていたので、座席もゆったりとした一等車を指定。プライベートな空間を確保して体力を温存できるよう万全な準備を怠らなかった。しかし当日、廈門駅で我々を待っていたのは恨めしくもこのタイプだった。一等なのになぜか向かい合わせのボックスシートは回転もリクライニングもせず、進行方向に対しても後ろ向き。さらに対面の客は幼児連れ(中国の鉄道では幼児は運賃不要のため座席を買わなくても良い)の30代くらいの奔放な女性で、あちこちへ動き回る子供の相手をしないので逆に我々が気疲れをしてしまった。
4時間の道中、車内は終始騒々しさに包まれていた。原因は話し声や列車の走行音などではない。乗客はスマホやタブレットから発する音声だ。彼らにとっても長い旅路、日本の列車内と同様動画を見たり音楽を楽しんだりするのだが、彼ら中国人はイヤホンを使おうとせずスピーカーから音をだだ漏れにしているのだ。あちらから京劇の音楽が、こちらから幼児アニメの音声が、そちらからはドラマの音が、怒濤のようにミックスされ全体の騒々しさがさらに増していく悪循環が出来てしまう。中国の鉄道は今までに何度も利用しているが、日本と同様に列車内は静かなものと認識していた。ここまでモラルが欠けた騒々しい車内は初体験だった。結局は自分たちが耳栓をすることで難を逃れるといういきなりの洗礼となった。
深圳は今、ホットなワードとして日本でも良く耳にするようになった。小さな電池メーカーから世界最大手の電気自動車メーカーとなったBYD、日本でもメジャーになったスマートフォン大手のHUAWEI、ドローンの開発で一世を風靡したDJI、WeChatを運営するテンセント(騰迅)といったベンチャーから急成長した現代中国を牽引する大企業が本社を構え、華強北は世界最大の秋葉原として名を馳せる。MUJIがホテル事業を展開するにあたり一号店をオープンしたのも東京でも上海でもなく深圳だった。つい数年前に連日スモッグに覆われ太陽も見えないと報道されていた北京など他の大都市を横目に、公害の撲滅、大規模工場の郊外移転やバス・タクシーの全車電気自動車化を進めた結果、一番最初にクリーン化を実現しきれいな空を取り戻したのも深圳。中国のスピーディーな発展をどこよりも体感できる都市として雑誌などでも紹介され、ある意味焦りを持って日本でも話題になっている。
深圳は中国の他のどの都市にも似ていない、強いて言えば中東ドバイのように砂上(深圳の場合は湿地帯だが)にいきなり出現した大都会。しかもたったの40年しか歴史を持たない。良くも悪くも歴史がないので伝統や様式に捕われる事もなく、アイデアに実現に対するスピード感も圧倒的だ。深圳はもともと、マンゴーやライチが実る湿地帯が広がる小さな漁村だったそうだ。目と鼻の先にイギリス領である香港と新界があった地理的要因と労働賃金の圧倒的な安さがきっかけとなり、国際貿易港へ製品を仕向ける加工貿易が発生。1978年の鄧小平による経済開放政策では、5つの経済特区(廈門・汕頭・深圳・珠海・海南省)のうちの一つとして優遇されるようになり、以降外国資本の参入も容易になった。1997年の香港返還以降、より往来が密になった深圳は世界の工場として認識されるようになり、多くの日本人はいまもこの頃のイメージを持ち続けていることと思う。しかし深圳の進化はまだまだ止まらなかった。2015年に起きた大規模な土砂崩れ事故の遠因となったのは地下鉄工事から発生した大量の残土だったようだが、その深圳地下鉄は今現在だけで8路線、総延長285km、世界でもすでに10番目の路線規模を誇る。2020年に総延長で440km、2035年には1,335kmを目指しているそうだが、これが到底ウソとも言い切れないのが今の深圳の発展速度だ。
廈門からの列車は高速新線のターミナルである深圳北駅へ到着した。深圳北のある宝安区は中心市街地からは外れた衛星都市で、市中心の福田や香港とのボーダーがある羅湖口岸までは地下鉄で50分ほどかかる。例えて言えば新幹線の大宮駅に降り立ったような感覚。我々はここ深圳に2泊のみ滞在しそのまま広州を目指していたため、明後日またこの駅に戻ってくる必要があった。よって時間をかけてあえて街には出ず、深圳北駅至近の特に見所も無さそうなこの宝安区の雑居ビルホテル(雑居ビルの最上階ワンフロアーを改装したホテル)へ宿泊することにした。普段着の深圳に泊まり、普段を暮らす中国人の生活を観察してみるのも悪くないのではないかと。