2019/01/27 08:00



雑居ビルホテルのある「民治駅」は駅前から市街地と空き地が交錯する雑然とした景観だった。市街地の商業ビルはいわゆる香港式唐楼スタイルの現代版であり、かつ大陸なので規模は大きめ。意外に建物は古く築30年程度の煤け具合に見える。駅前の空き地には見事な数のシェアサイクルがわりと乱雑に並んでいる?...かのように放置され、テレビが伝えるハイテク都市とはかけ離れた様相。実はここ宝安区は深圳のひと昔前の工業地域の代表格であり、当時の「世界の工場」を地でいくようなエリアだったそうだ。ただし近年は生産工場の更なる郊外移転が即され、この地域もハイテク産業への転換が迫られている。大規模な空き地が多い理由はそれだ。工場が壊され商業ビルだけが残った歯抜け状態の街、それが今の安区の風景だ。空き地には瓦礫の残骸や水たまりがあるものの、成長の早い熱帯の植物や雑草が自生し蔦を伸ばすため早くも巨木になってしまったものもある。

雑居ビルホテルは「民泰大廈」11階全体にあり、内装は日本のビジネスホテル並み。客の大半は中国人でビジネス客と観光客は半々といった構成だった雑居ビルだけに10階から下は様々なテナントが入り、ホテルの客ともエレベーターを共用している。小規模な職場、しかもベンチャーが細切れに入っているようで、エレベーターを待つ人々の顔ぶれは全体に若く服装もカジュアル。朝は外帯(持ち帰り)の饅頭や油条・豆乳の入ったビニール手提げを片手にエレベーターを待つ出勤の人々、昼時は成長目まぐるしいバイク便の配達の出入り、夕方になれば帰宅を急ぐ退勤の人々が足早に乗り込んでくる。大通りに面した「民泰大廈」の裏には中層のマンション群が所在している。こちらも築30年くらいの建物なので、この地域が一斉に開発されたことが分かる。住民達は中国全土から集まった移民のため、深圳は広東省にありながら広東語は通用しない。移民達の共通語であるマンダリン(普通語)だけが通用する。

マンション群には多数の保育所が併設されている。男女平等の中国では共働きが一般的なため、昼のあいだ子供達が保育所に預けられる光景は日本と同じ。しかし保育所の託児ラッシュがひと段落した朝10時ごろに街を歩くと、孫の手を引いた年老いた祖父母らしき姿を多く目にする。一見すると待機児童かと思う彼ら、実は都市の保育所を利用する事が出来ない農民戸籍の児童なのだ。前々回の旅、蘇州の項でも触れたが現代中国に横たわる大きな格差が戸籍問題だ。出稼ぎのために地方各地から「世界の工場」深圳に集まった若い農民工は主に工場労働者となり寮に入る。寮生活の中では出稼ぎ同士の結婚もあるだろうし夫婦であれば当然子供も産まれる。それを機に当時まだ安価だった深圳郊外に不動産を購入し居を構えた家族が、こういった中層マンションには数多く在住している。しかし戸籍は農民のままである彼らは都市部の深圳では社会保障を得る事が出来ず、子供達を託児所に預ける事が出来ない。結果として、働いている間の子供の世話をさせるために農村の実家から両親を呼び寄せるのだ。長期にわたった一人っ子政策のもと、孫ひとりに対して4人の祖父母が関わるので負担は少なく、猫可愛がりするので両親は安心して共働きに出ることができる。そして共働きの両親たちもかつて子供だった頃は祖父母に育てられていた。なぜなら20年前も同様に両親は都会に出稼ぎに出ていて不在だったからである。共産化以降の近代中国の子供達は両親ではなく祖父母に育てられたケースが少なくない。彼らは親から躾けられる時間も得られず、何でも不足なく与えてくれる祖父母に育てられたので利己主義でワガママだ。両親と長期間離れ離れで暮らすことの人格形成へ与える悪影響は計り知れないともいわれる。そして祖父母に手を引かれた「深圳生まれ」であるはずのこの子達も、小学校入学を前に祖父母と一緒に農村の実家へ移る。農民戸籍では深圳の公立小学校へ入学する事が出来ないからだ。以降都会暮らしの両親とは離れ離れに暮らす。やがて時がたち彼らは18歳になると両親がそうしていたように出稼ぎにやってくる。今後も農民工の格差が解決されないならば、ずっと繰り返される社会構造のスパイラルである。

結果として形成されたのがモラルが欠けた騒々しい列車の中、子供の面倒を見ようとしない奔放な母親、整列乗車が出来ない人々、乗り捨てられうずたかく積もるように重なった薄汚れたシェアサイクル...といったものなのかもしれない。これも中国のひとつの側面だ。

文明的に振る舞いましょう。あなたが変わればこの街にも文明がやってくるのです。