2019/04/17 09:00
私と韓国の距離感をいえば、アパレル勤務時代の2001年にソウルへ出張のため初渡航。しかし出張だけに街に出る時間は皆無で、仁川空港から郊外の仕事場(今思えばカンナム?)までの往復のみで終了。川幅の広い漢江の橋を渡り都心に近づく事すら叶わなかった。よってノーカウント、あれは行ったうちに入らない。以来今回の2019年まで18年以上渡韓経験なし。意図あって韓国を遠ざけていたワケではなく、韓国や朝鮮文化については知識や関心が低かったのがホントのところだ。それが今回、大韓航空の保有マイルが有効期限切れになるという後ろ向きな理由がきっかけで渡韓することになった。目的地はヘソ曲がりが災いしてソウルではなく釜山。滞在期間は短く4日。この国を深く知るには圧倒的に時間が足りず、形骸的な印象しか得られなかったので今回は備忘録形式で下記に羅列していく。
●東京から長崎までの直線距離が964km。東京から釜山までは976km。コンパスの角度を北に数度ずらすだけ、その差はたったの12km。航空券も往復2万円代から手配可能。国内旅行の沖縄へ飛ぶより圧倒的に近く、安い。●ご存知韓国ウォンは日本円に対してゼロが一つ増える。分かってはいたがATMで3万円分の現金を引き出すと30枚の10,000W札がゴソッと飛び出てきたので少しマゴついた。●釜山は平地が狭く坂の多い街。横須賀や佐世保、マカオやリオデジャネイロの雰囲気に近い。大航海時代のポルトガル人が知ったら大挙して押し寄せそうな地形。●GENESISという、ロゴはベントレー、アストンマーチンの顔とアウディの尻、テスラの側面を良いトコ取りした夢のようなクルマがある。しかも何気にカッコいい。●日本よりも20代の若い連中の元気が良い。韓流スターの影響か5人くらいのグループでつるむ男の子が多く見かける。そしてつるむのは男ばかり。この国も草食男子化が進んでいるようだ。●貿易港の影響でロシアの船乗りが街を闊歩している。ちなみに世界の港湾別コンテナ取扱い量ランキングで釜山港は香港に次ぐ6位を誇る。●道幅がやたらと広い。両側8車線程度はふつう。横断歩道がないセクションも多く車道優先の雰囲気は大陸の中国に近い。●押し寄せるハングル文字は宇宙語だ。解読不能。最初は恐怖でしかないが、商売をしている中年以上の人に片言の日本語話者が多く拍子抜けした。●自転車に乗っている人を見かけない。聞けば韓国では地位の高い人はクルマ移動が標準で、自転車は労働者の乗り物として敬遠されているとのこと。●有名なチャガルチ市場のある南浦洞(ナンプドン)や釜山港周辺はこじんまりした日本の街並み風景に通じる。釜山の歴史はこのエリアから始まった。一方BEXCOのある海雲台(ヘウンデ)の開発区は完全に中国のような桁外れの規模感を誇る。とにかくスケールがデカい。●お年寄りが乗車してくれば当然のように席を譲るという、当たり前の事を当たり前にできる人びと。近年の日本人は見習うべき。●露店や屋台が未だに現役で活躍中。味のあるオモニが昔ながらのスタイルで市場で食材を売っている。●オモニといえばパーマ!カーラーを巻いたまま出歩く姿も。古くさいが身ぎれいにしている点は美意識が高いとも言える。そしてどのオモニも良く笑い、良く働く。●逆に儒教の教えが影響してかお父さんはわりと横柄な態度をとる人も多い。●地下鉄は日本のものと全く同じ空間・音・ニオイ。ただ車内に踊るハングル文字だけは違和感でしかない。●釜山名物生きダコのおどり食いは体験する価値あり。最期の力を振り絞る生き物の生命力を口の中でピリピリと感じることができる。●ラーメンやイザカヤなど、日本の食文化は韓国でも受け入れられて主に若い人たちに愛されている。●釜山の朝は遅い。理由は宵っ張りの多さ。西面(ソミョン)の夜は歌舞伎町のようにアツく眠らない。この傾向はソウルも同じだそうだ。●釜山には正真正銘のトランプタワーがある。●大韓航空のキャビンアテンダントのお姉さんは皆、異様なほどに肌がすべすべツルツルだ。乳液にシリコン成分が入っているから。コスメ文化が発達しすぎて化粧品店に男の子の姿もちらほら。●韓国は男が男のルールで作った国だが、実際は女が女のルールで動かしている国と察した。●三食毎に登場する赤いギャング(時におかずの群れとして登場)にやられて、帰国後に長い胃の不調が訪れたのも18年前と同じだった。普段から胃腸だけは自信があるのだが…。
慰安婦像や元徴用工問題、反日感情を持った人が多数派云々...といった先入観と猜疑心を持って飛び込んだが、良いカタチで裏切られた。分かってはいたが日本側の報道にも偏りがある。市民レベルの交流は親日国といわれる台湾のそれと比較しても何も変わらない。釜山に住む隣人達は私たちと同じ悩みを持ち、人を思い、日々這いつくばって生きている。海外へ出たつもりが国内旅行よりも妙なリアリティーがあった。
釜山。それは昭和歌謡の似合う街。懐かしい鏡の向こう側。