東洋の魔窟、マカオ。
北朝鮮の指導者一族でマレーシアで謎の死を遂げた男、金正男が祖国からの送金を元に派手に暮らしていたとされる地。禁止されるはずの賭博と売春が合法化された別世界。町中に溢れる煌びやかな金行や「押」の看板が目印の質店が人間の欲望をさらけ出しているように見え、どこか後ろめたい世界観を醸し出す。
香港から西へ約70km、「世田谷区の約半分」と言われる狭い領土、中国の特別行政区の一つであり、1999年までポルトガルの海外領土だったことから、大陸とも香港とも違う独特の雰囲気を持つマカオ。エリアは三つ、世界遺産が集まる歴史地区であるマカオ半島、空港島がある氹仔島=Taipa、パンダ動物園や自然に囲まれた古い漁村が残る路環島=Coloaneに分かれる。さらに氹仔島と路環島の間を埋め立てお互いの頭文字をとった平地、路氹=Cotai地区があとから追加され、ここに大型カジノを併設する統合型リゾートが建設された。テレビに映るいわゆるラスベガス的な風景はコタイ地区のことである。歴史的には1500年代の大航海時代にポルトガル人が上陸、居留地としたところから始まり、1887年に正式にポルトガルへ割譲された。台南の安平區やマラッカなどアジア各地でいくつものポルトガル人が占領・統治した土地の資料館を見てきたが、彼らはどの土地でもまったく同じ手法を使い制圧する。起伏のある土地を好み、周囲からよく見える一番の高台に絞首刑台を置く。どこでも同じ。よってここマカオでも旧ポルトガル系の歴史的建造物はすべて高台に集中している。以降、世界を席巻したポルトガルの国力にも次第に陰りが見え始め1974年のポルトガル国内の軍事クーデターですべての海外領土を放棄するものの、当時の中華人民共和国政府はマカオの主権を主張しつつも当面の間のポルトガルによる統治を希望。1997年の英国の香港返還に次ぎ1999年に中国へ返還された。
この影響で公用語は広東語のほかにポルトガル語が制定され、バスの降車案内などは広東語→ポルトガル語→普通話(中国語)→英語の順に繰り返される。また通貨もマカオ専用のパタカ(MOP)が通用している。通貨価値は香港ドル(HKD)と等価とされているが実際には3%ほどパタカの分が悪く、マカオで香港ドルは通用するが香港では一切通用しない。ローカルルールとして香港ドルで支払われた買い物の釣り銭は必ず香港ドルで返す、釣りにパタカが混じる場合はひとこと断りを入れる、といった配慮がなされている。当然、マカオ人の中にはポルトガル系の子孫も混在しており、風貌は完全な欧州系なのに中国のパスポートを持ち広東語を話す人もいるということだ。
医療費も教育費も無料、市中の公園のあちこちに運動器具が設置されていたり、年に一度、一人当たり約12万円の市民へのボーナス配布があったりと、これらにはカジノ産業で潤沢に潤う市税が投入されている。カジノが運行する無料送迎シャトルバス、發財車(ファッチョイチェ)を上手く利用すれば交通費もかからない。押し寄せる中国本土客がカジノへ落とす巨額の金が近年のマカオに一種のバブル景気を与えている。
マカオ人の就業者の大半はカジノやホテル産業を含む観光・サービス業に従事している。そして観光業には多くの外国人も就業している。
今回はマカオ半島旧市街の中でも特に古い街並が集中する内港側(有名なホテル・リスボアに対し正反対、珠海側の埠頭)、司打口の公園前に建つホテルに宿を取った。香港着が早朝だったこと、その先の港珠澳大橋のバスと出入境も早朝だけにスムーズに通過し、朝8時前にはホテルへ到着。チェックインは午後3時からとインドネシア人のドアマンに告げられ、トランクケースだけ先に預け朝食を摂りに街へ出た。ロビーには他に2人のドアマンがおり、滞在中終始心遣いと笑顔を絶やさなかったが、1人はフィリピン人、もう1人は中国(大陸)人という多国籍構成だった。レセプションに立つ3人は若い地元マカオ人。掃除人はタイ人。以降この縮図はあちこちで見られた。
異変が起きたのは夜だった。ホテル前の公園から奇声が聞こえるのだ。窓から下を覗き込むと、公園で大勢の若者がコンビニの瓶ビール片手に酒盛りを始めているのである。目を凝らすと酒盛り連中の大半はフィリピン人らしき男性。その日は土曜日の夜。そう、週末の香港で見られるフィリピン人メイド集会のマカオ版なのである。香港との違いは集う連中が男中心であること。香港は日中であるのに対しマカオは夜中であること。結局この連中は翌朝まで楽しく大騒ぎしてくれたのである。これには近隣住民も堪ったものではないだろう。出稼ぎ労働者である彼らは酒代をセーブしたいのでスーパーで酒を買い込み、夜な夜な公共の公園に集うのだ。当然、日曜日も同じ様相だが、月曜以降の平日に変わると事態は解消された。
マカオには約18万人の外国人就労者がおり、人口65万人の実に28%を占める。フィリピン人は2番手の勢力(1番は中国本土)で、主に埋め立て地コタイ地区の建設業が働き手を欲しているため男性が中心になっている。また英語話者であることからカジノホテルをはじめとしたサービス業にも伝統的に多くのフィリピン人が働いているそうだ。市中にもフィリピン人向けの日用品店やローカルフードの小さなレストランなどが点在しており、すでにコミュニティーが根付いている。何より元から旧ポルトガル系のカトリック教会が充実しているので信仰も含め日常生活を送る上での物理的な支障はほとんどないように出来上がっている。フィリピン系の出稼ぎ労働者にとってのマカオ、それはお隣香港と比較しても暮らしやすさの素地が整っている魅力的な土地なのである。
好景気に湧くマカオへの出稼ぎ労働者の急増だが、この狭い土地には負荷が多いのも事実のようだ。特に乗り合いバスのみに頼っている公共交通は常にパンク気味。世界遺産級の歴史地区や急峻な傾斜地が多く、地下鉄などが計画される遥か昔から市街地が形成されたために開発の余地がなかったこの地では、長らくバスが市民交通の主軸だった。そこへ出稼ぎ労働者と大陸からの観光客が怒濤のように一斉に押し寄せたことで積み残しや慢性的な混雑が増え、まるで京都市民のような理不尽な毎日を受け入れなくてはならなくなったのである。公園で毎週末繰り広げられる夜中の宴も然り。これらはカタチを変えたオーバーツーリズム、いわゆる観光公害といえるだろう。医療費・教育費一切無料、一人年間12万円のボーナス支給の代償は大きいのか、小さいのか。眩いマカオの影の部分だ。
狭い土地と言えば、死後の行き場もマカオにおいては独特である。それは地図を広げると分かる。何しろ墓地を置くだけの平らな場所すら確保できないからだ。
マカオの街市(公営の生鮮市場)のなかでも最も古いと言われる紅街市=Mercado Vermelhoを北進し望廈砲台=Mong-ha Fortのある丘の方向へ進むと、ドッグレース場、市営運動場の反対側に巨大な四角い廟「恩親園」が現れる。中に入らずとも遠目から、ここが納骨堂であることは周囲の空気感からも分かるのだが、ほとんどのマカオ住人の終の住処がここ一箇所である事には驚きを禁じ得ない。納骨スペースはコインロッカーサイズであり、それらロッカー状のブースが幾十にも平行に、さらに何層にも重なり迷路のように並んでいる様は圧巻だ。
周囲には日本のセレモニーホールにあたる「殯儀館」と呼ばれる施設や民間の葬儀社が点在している。マカオらしくカトリックの葬儀場と中華様式の葬儀場が並列にあり、実際の火葬の設備も有している。殯儀館には葬儀のプランについて細かな仕様が書かれた看板があり、どのプランでも土葬と火葬を選択することができると記されている。マカオの火葬率は80%。一方我々日本人にはピンと来ない「土葬」であるが、中国華南に住む客家系住人には伝統的にこの風習が根付いている。死者は葬儀ののちに亀甲墓(沖縄の伝統的な墓も同じ形状、元は客家由来)に土葬で埋葬され、6年後に遺体を掘り起こし骨を清める「洗骨」という儀式を経て火葬される。日本でも80年代に流行った子供向け映画「幽玄道士」で土葬された墓からキョンシー達が起き上がるのは、製作国の台湾に客家系の子孫が多く亀甲墓が中心であるためだ。お隣香港でも新界に住む客家系住人に限り土葬を認めているが、6年後に火葬に改めることは法律でしっかりと定められている。
マカオの墓地の少なさは香港よりもシリアスだ。何しろ世田谷区の半分の面積しかない狭い土地である。歴史地区に点在する猫の額ほどの墓地はすべて歴史墓地であり、現代人に用意された終の住処ではない。政府が用意した墓は「恩親園」の納骨スペースのみ。しかも無作為の抽選に当たり順番待ちの末、納骨ができるまで何年も待たなければならない。もし今すぐに土地に根ざした永久土葬の亀甲墓が欲しいなら、ボーダーゲートの先、100km以上遠く離れた中国広東省を目指すしか無い。縁もゆかりも無い土地ではあるが広大な中国には開発された墓苑が整備されており、マカオや香港からの墓地需要を万全な体制で待ち構えている。
本来中国人は先祖や家族の墓に敬意を払い、故人に対しては永久不滅のしかるべき場所にすぐに納め供養するべきと信仰しているが、霊の存在についても我々日本人とは比較にならないほどに信じて疑わない。骨壺には自身の先祖以外の霊魂も憑いていると言われ、それが理由で墓苑は周囲の不動産価値を大幅に下げてしまうため、つま弾き的に敬遠されるタブーなのである。愛おしい故人には寄り添いたいが、骨壺は近くに置きたくないというジレンマ。
同様に土地の少ない香港では政府が記念公園や海洋への散骨を推奨しており、海洋散骨については香港島は北角の埠頭から週に一度散骨のための定期船が出ているそうだ。散骨できる海域は3箇所に決められており、一方の記念公園は新界や離島を中心に8箇所。すべて食物環境衛生署が管理しているが、政府主導でこれら墓地問題を解消しようという気は毛頭ないようである。