2020/01/31 08:00
台湾らしさが凝縮した街、台南の良さは「垢抜けなさ」この一言に尽きる。
私たち日本人の生活からすれば台湾には全体的にのんびりしたいわゆる「南」の時間が流れていると思うのだが、彼らからすれば地域差はあって、台北には大都会の忙しさや厳しさが、台南にはそれを包み込むようなのんびりとした優しい時間が、それぞれ流れているとされている。実際に数年前には首都在住の台湾人による台南移住ブームが、今は花東(花蓮から台東までの台湾東海岸)への移住ブームが起きている。
そんな台湾人さえ魅了する優しい時間を持った街、台南。規模は小粒だが台湾の歴史と文化、食、「垢抜けなさ」が凝縮したとても雰囲気の良い街なのである。原住民文化と広がる海が魅力の花東にも後ろ髪を引かれるのだが、連休利用の3泊4日の弾丸旅程では4,000メートル級の山地で分断された西海岸と東海岸の両極は到底回り込めず。今回は台南のみに的を絞り、その代わりのんびりと滞在する旅程を組んだ。
日本から台南を目指す場合、台南には軍民共用の小さな国内線用空港しかなく、就航している外国航路は香港線とホーチミン線のみ。南に55km離れた高雄国際空港を目指すことになる。成田から高雄は約4時間のフライト、高雄航空站から台南站までは高雄捷運(地下鉄)と台鉄在来線を乗り継ぎ、早ければ1時間ちょっとの小さな旅だ。ちなみに台北桃園空港からだと一番早い台湾高鉄(新幹線)を利用しても3時間以上の長い道のりになり、更に高鉄台南駅はとても市内とは言えないような町外れの田園地帯の真ん中に降ろされる。よって台南を直接目指すならば高雄一択。LCC高雄便の存在感はとても大きい。
夜市。一年を通して日中の気温が高い台湾だから発達した「お楽しみ」のひとつ。 毎晩祭りのような盛り上がりを見せる台北最大の常設屋台村「士林夜市」や、最近では食のレベルが高すぎると話題の基隆の「基隆廟口夜市」などが有名だが、台湾にはその土地の色を反映した夜市がひしめき合っている。取扱う食材や料理の傾向、そこに露店が集い市が立つようになった歴史的背景(始めに廟がある事が多いようだ)など、夜市の比較という視点から台湾全体を分析できそうな、ひとつの興味深いカルチャーである。
台南の夜は思いのほか静かでひっそりとしている。ライトアップされた名跡・赤崁樓周辺も、スタイリッシュにリノベーションされた神農街や府中街にも、うっすらと人の気配はあるものの、車通りも閑散として周囲は薄暗く落ち着いている。しかしそれは旧市街のまちなかの話。
台南人は毎晩、友人同士誘い合って、または家族全員でスクーターに乗って、煌煌と光り輝く夜市に群れ集っているのである。そして台南には四つの垢抜けない粗野なイメージの夜市が残っている。花園・大東・武聖・小北がそれだ。台北にある洗練された観光夜市とは一線を画す、地元民向けの「生活」夜市である。四つの夜市はすべて市中心から四方に4-5km離れた町外れにあり、各市とも曜日を交互にずらしながら週2-3日の開催。月曜:大東のみ、火曜:大東と小北、水曜:武聖のみ、木曜:花園のみ、金曜:大東と小北、土曜:花園と武聖、日曜:花園のみ。毎日どこかに夜市が立つが、輪番制なので事前に調べて行かないと何も無い真っ暗な空き地があるだけ...。そう、台南の夜市は原始的な一夜限りの「移動式」なのである。
台南は台北と違い目立った高い建物もなく建物の密度も緩やか。市中心部でも広めの空き地が点在しているような地方都市だ。こうした昼間には何も無い駐車場のような空き地や原っぱに、週に二度だけ、夕方になると移動式の屋台やトラックが集い市が立つ。一夜だけの儚い夢のような煌びやかな空間が広がり、翌朝になると何も無かったかのように空虚な空き地に戻ってしまうのだ。この点は台南夜市の独特な風習といえる。出店する屋台側も大概は二つの夜市をハシゴしているようで、例えば小北夜市に出店する蚵仔煎屋台は武聖夜市にも、大東夜市に出店する葱油餅屋台は花園夜市にも、互い違いに曜日が被らないように店を出している様子である。よって今日小北でお気に入りの屋台を見つけたならば、翌日は武聖に行けばまた出会えるという図式が成り立つ。
また田舎の夜市は必ずしも飲食が中心ではないのも特徴だ。敷地の半分が生活雑貨や五金、パチンコ台や射的ゲームなど祭りの出店であり、さながら夏祭りの夜店のようで日本人には懐かしい光景が広がる。特に台南の夜市には生活用品の屋台が多く、生活者目線の100均さながらの垢抜けない品揃えは他所と比較しても風変わりといえよう。売り物は多岐に渡り、洗濯ネットや魔法瓶、USB充電器や布団・枕、麻雀牌や海賊版DVD、果てはパンツ・ブラジャーやマッサージ用のカッサまで。そこを水煎包を頬張りながら、一家でワイワイと素見し歩く光景は、日常の小さな幸せそのものだ。
ちなみに台湾における夜市の起源は意外に浅く、1970年頃。台湾も工業化が進み全国的に家内工業的な中小企業が急激に増えた時代、夫婦共働きの勤め人が自炊しなくても良いようにという背景により全土で増えていった。三食ともに外食で済ませる今の生活スタイルが確立したのもこの時代からのようだ。