2020/02/14 08:00
台南の朝は煙っている。風邪でもないのに妙に喉がいがらっぽくなるのは、台湾名物の通勤スクーター渋滞のせいでも、対岸の中国大陸から流れてくるPM2.5や黄砂のせいでもない。ホテルの真裏、いや、あちこちの廟から突き出ている金炉が吐き出す煙のせいである。
金炉とは補運金(運気向上を祈り神様へ献上するお金)を焚き上げる炉と煙突のことで、立派な社には必ずと言って良いほど径の大きい立派な煙突が付いていて、一日中途切れること無く、時に激しく煙を吐き出している。台南は台湾中のどの都市よりも道教寺院や廟の密度が高く、よって金炉の数も非常に多い。
土曜日の朝8時、ぼんやり眺めていたホテル裏の金炉の煙が一層激しさを増したかと思うと、今度は大音響のドラや爆竹の音が一斉にこだまし始めた。明らかに裏の道教寺院で何かの祭りが始まったことが分かったので、急いで靴を突っかけて表通りに飛び出した。
そこには総勢100名規模の行列があり、道教の神を祀った神輿を中心に、先頭に銅鑼隊(楽隊)、二頭の黄色い獅子、全員揃いのピンク色のナイロンベストとキャップを被った集団、ド派手な装飾のJEEP2台、そのうしろに救援車風の乗用車が2台。大音響を鳴らしながらホテル裏の廟へ向かってゆっくりと行進している。表通りには路地に入れない2台の大型観光バスが乗り付けられており、正面には「台中◎◎◎団」の表記がある。行進の中には上半身裸で日本の金太郎のような前掛けをつけた一人のオヤジがおり、ブツブツと何かをつぶやいている。時にジャンプし、くるりと回転するような突飛な動きを見せるので、何かが乗り移る一種のシャーマンであると想像できる。行進が廟に到着すると大量の爆竹が鳴らされ、シャーマンが踊り獅子が舞う。一通りの儀式が終わると黒光りした道教の神を乗せた神輿が廟の中へ入っていき読経が始まった。これで行進は終わり。爆竹の燃えかすが掃き清められていく。
同じ日の昼、台南の職人街、民權路でも同様の一団に遭遇するものの、なぜかこちらは先頭が銅鑼隊ではなく巨大ウーファーを後部に搭載したホンダフィットの「痛車」だった。しかし大音響を響かせ行進する点は共通で、年季の入った年老いたシャーマンがさらに激しく動いていた。安平にほど近い埋め立て地の新興住宅街では、爆音を轟かす一軒の家の前で誰も見ていない布袋劇が演じられており、台南名所、ハヤシ百貨店の前では平らな荷台中央に1本のポールが備え付けられた2tトラック3台に遭遇。急に大音響でダンス音楽を流し始めると、荷台に登場した3人の露出度の高い女性ポールダンサーが踊りだし、中正路をゆっくりと行進していった。この街に一体なにが起こっているのか...。滞在中、ホテルの女性ドアマンにこのモヤモヤした疑問を投げかけたところ、「神様の誕生日」であり「台南では週末になるとどこかで行われる行事」で「特に珍しいものではない」との回答。ますますモヤモヤする始末だ。
正しい回答はこうだった。
台湾全土にある幾多の廟は、古くから歴史のある廟から分霊され各地へ分散し祀られている。古くて有名な廟であればあるほど、それら分霊された神は数百数千に上る。その分霊された神々が誕生日前後に一斉に祖廟へ里帰りする意味で行われる巡礼が、進香(ジンシャン)である。そもそも廟の数が異様に多い古都台南には、分霊の大本になった古くて歴史のある祖廟がいくつも存在するため、これら巡礼=進香を目にする機会が多くなる。また、神々の誕生日前後の期間を「進香期」と呼ぶ。進香期に台南を訪れると、台湾中から観光バスをチャーターして集まった何組もの進香団の行列であちらこちらの廟が、しいては街中が賑やかな状態になる。進香団は大通り(もしくは駐車場)から廟までの間の数百メートル、神輿を中心に「陣頭」を組むのだが、陣頭には武陣・文陣・喪葬陣という3つの種類がある。喪葬陣は葬式で登場するもの、舞獅や八家将などの演技があるものを武陣、太鼓や管楽器などの演奏があるものを文陣という。里帰りの巡礼=進香のほか、遶境(ラオジン)という行進もあり、そちらは日本の祭り神輿と同じく廟の管轄地域を神様が巡視するという意味合いがある。例えば祖廟への「進香」を終えたあと、周辺地域を「遶境」するケースもある。
シャーマンの存在については想像の通りで、その名を乩童(ジートン)という。帰省する神様が乗り移った存在で、今回はお目にかかれなかったが、自らの身体を切りつけつつ火のついた爆竹の上を歩き、たまに流血する乩童もいるそうだ。本当に神様が乗り移っているのかどうかは台湾人も半信半疑。乩童を職業にしている人も居るようだ。誰も見ていない布袋劇は神様へのもてなしのため、ポールダンサーも同様にもてなしのための存在であり、辣妹(ラーメイ)といい有名らしい。辣妹は南台湾の伝統的なお葬式で登場するストリッパーとも同じ存在で、過激な露出で神様(お葬式の場合は死者)を楽しませる(または弔う)という意図がある。辣妹は本来道教とはあまり関係のない台湾特有の土着信仰から発生したものだが、1970年代頃から全国的に慣習化した。このころ、台湾黒社会が葬祭事業を次々と買収し、風俗と葬祭の慣習を結びつけたというのが本当のところらしい。都市部では条例で禁止されたが、南部台湾には田舎を中心に風習が残る。道教と精霊信仰と世俗性が融合してしまった台湾ならではの考え方だ。
結果、週末土日の間に6つの進香団の行列に遭遇。交通機動隊を巻き込んだ2-300名規模の大掛かりな進香団もあり、その爆竹の雷鳴と白煙はまるで戦争のように台南全体を包み込んでいた。