2020/04/15 08:00
うるさい!...あぁ、まだ7時前なのに...。
朝6時半。町中のモスクのミナレットに設置された巨大スピーカーからアザーンが一斉に流れ大反響する。その音量ゆえ強制的に目が覚めてしまう。そして今日もまた起こされた。マレーシアと日本の時差は1時間。経度的に手前のはずのベトナムは2時間の時差を設けているのにである。よってマレーシアの日の出は実質7時半ごろ。朝6時半では外はまだ真っ暗なのである。
日が暮れると今度は華人の迎春野外カラオケ大会が始まる。住宅街の路上に特設されたステージに、老若男女・素人玄人問わず、さまざまな人々が壇上に上がり巨大音量で歌声を披露する。もちろん野外だけに音はダダ漏れ。エアコンが効いて窓を閉め切っているはずのホテルの部屋にも容赦なく、こぶしの効いた歌謡ショーは侵入してくる。町中に反響して増幅する演歌風歌謡曲はきっちり深夜12時まで途切れることなく鳴り続ける。
週末。ヒンドゥー寺院前には極彩色の山車が鎮座し、色とりどりに着飾ったタミル人達が朝から大集合している。なぜか街のあちこちに割れたヤシの実の残骸が小山のように散らかって、周囲は甘い匂いとともに交通が封鎖され小さな渋滞がおこる。ナシカンダールレストラン前には巨大ウーファーが積まれ、即席野外ディスコブースが設置されている。もちろん朝から遠慮なしに大音量のインドミュージックが鳴り響いている。
多民族国家マレーシアのふしぎ。それは3つの民族、マレー人、華人、タミル人がそれぞれ好き勝手に思う存分生きていること。共生・共存とは、お互いがお互いを尊重し合い、「遠慮」しながら共に過ごすことと教えられてきた私たち日本人にとって、ここマレーシアの共生・共存関係は新鮮すぎる。アザーンの強制目覚ましにも、華人のダダ漏れ歌謡ショーにも、タミル人の野外ディスコにも、お互いに共に屈せず「勝手に」生きる。
私たちがペナンに滞在していた2020年2月8日。この日は偶然にもタイプーサム(thaipusam)と重なっていた。この耳慣れないワードは、先にも書いた「割れたヤシの実の残骸」も関係するヒンズー教の大きな宗教行事であり、世界三大奇祭ともいわれている。
ペナン入りした前日時点の昼頃から、ホテル前のヒンドゥー寺院Nagarathar Sivan Templeには大音響を轟かせるウーファーを搭載した山車が何台にも連なり停車していた。空港からのタクシーのドライバー氏は「インド人コミュニティのお祭りだよ、良い時に来たね!」とこの状況を大まかに教えてくれた。裸足のタミル人達は寺院とホテルの間をペタペタと行ったり来たりしていて、どうやらこの週末の宿泊客のほとんどはタミル人のようだと悟った。実際、インド系特有のお香の匂いがエレベータや廊下にも充満していて、ホテルごとインドコミュニティーに突入した感じだった。
翌土曜日、2月8日が本祭ということで朝からウーファー隊がヒンドゥー寺院周辺で行動を開始。路上には例の「割れたヤシの実の残骸」が大量に出現し事実上の道路封鎖(ヤシの実を割るという行為には神の通り道を清めるという意味がある)。極彩色のヒンドゥーの神々が立体で表現されたハリボテの山車を中心に、カバディと呼ばれる儀式用の神輿を体に載せた信者達が参拝に練り歩く。そしてこの参拝までの行進が信者にとってはもちろん、見物する周囲の者すら巻き込んだ「苦行」なのだ。
奇祭といわれるゆえんは、極太の釣針形状の金属製大型フックやバーベキュー串を遥かに凌ぐほどに太い串を身体中に刺して練り歩くこと。背中と両肩に20本以上の金属製フックを、鼻に1本・舌にも1本、口を上下左右から串を貫通させ、重量のある神輿(カバディ)とフックの間に無数の鎖をジャラジャラと繋ぐ。その神輿を肩に載せ、さらに介助者に鎖を引張られ負荷をかけられながら練り歩くのである。もはや端で見ているだけでも「痛い」。彼らは苦行によって願いが成就すると信じており、針金や串で身体を傷つけることで神に忠誠を誓うのが主旨だ。苦行者たちは祭りの前、事前準備として肉や魚の摂取を数週間断っており、禁酒禁欲を貫く。さらに祈祷師の催眠術による深い瞑想(トランス)状態にあるため出血せず、痛みを感じないのだという。
驚くべきはこの祭りがあまりに過激すぎてインド本国では禁止されてしまったということにある。今はマレーシア・シンガポールとスリランカ・モーリシャス等、インドの外でしか見ることができない。これは中国本土から閉め出された春節の爆竹の慣習に似ている。周囲が煙るほどに派手に爆竹を発破できるのは今や台湾・タイ・マレーシアなど、やはり華人社会がある外地に限られてきている。中国では環境保全の名目で都市部から段階的に爆竹の販売と発破を禁止し、違反者には厳罰を課す方針を取っている。発破音だけを忠実に再現し無煙・無害な「電子爆竹」なる機械も登場しているが、やはり煙と爆音失くしてはおめでたい雰囲気は目減りするように思う。
外地ゆえに残る慣習、タイプーサムや爆竹に共通すること。それは移民として外地に出た人々は祖国の文化や言語、生活様式や料理に至るまでを鮮明に保存し、日々の生活の中に色濃く取り入れ実践しようとすることだと思う。南米へ移民した日系人が驚くほどきれいな日本語を話し演歌を愛するように、インドから移民した印僑は本国のインド人以上にインド人であろうとするし、華南から移民した華僑は本国の中国人以上に中国人らしく進化する。外地にいる人間ほど出自のアイデンティティーを大切にし、自ずと「自分らしさ」を増幅するのだ。
移民同士それぞれがハチキレそうな「自分らしさ」をお互い屈せずにぶつけ合い、それでも隣同士で共存する。勝手なようで勝手でない、不思議な共生関係で成り立っているのが多民族国家マレーシアなのかもしれない。
※タイプーサム(Hari Thaipusam)
ヒンドゥー暦で「タイ」の月の満月の日に実施されるため、イスラムのラマダーンや中国の春節同様、年によって日にちは変化する。マレーシアでは祝日扱い。ペナンの場合、参拝ルートは決まっていて市中心のスリマハマリアマン寺院から郊外の山腹にあるムルガン寺院まで。Queen Street → Lebuh Chulia → Lebuh Victoria → Jalan Prangin → Jalan Magazine → Jalan Dato Keramat → Jalan Utama → Jalan Kebun Bunga の道中であれば行進を見学することができる。