2017/09/26 15:09
昨年の2016年はタイにとって悲しみの年となった。国民から敬愛されるプミポン国王が88歳で崩御されたからだ。ラーマ9世、プーミポン・アドゥンヤデートは在位期間70年4ヶ月の長期にわたり、国民から尊敬と信頼を得ていた。タイ人の家庭や職場には必ずといって良いほど、プミポン国王とシリキット王妃の写真が飾られているほどだ。
これも20年前の話になるのだが、バンコクの大通りにかかる歩道橋を渡ろうとしていたとき、いきなり警察官に進路を塞がれた。事情が分からなかった私に通行人の一人がこう教えてくれた。「国王の車列が通る。何人たりとも国王の頭上を通過してはならない...」また、別の日には映画館で映画を観る機会もあったのだが、放映前の暗くなった画面にいきなり国王の姿が映し出され国歌が流れ出すと、観客は全員静かに起立し国歌斉唱をする。こんなににも国民に愛されている国王の存在が、私にとってはひとつの驚きでもあった。
2016年10月、国王崩御と同時にタイ政府はある発表をした。すべての国営企業、公的機関、政府・教育機関は30日間の半旗掲揚、すべての公務員と政府関係者は1年の間喪に服すこと、一般の国民は適切な行動をする事。崩御直後の様子は日本でも報道されたが、テレビ放送はひと月の間すべてモノクロに、国民も黒い服を自発的に着用、WEBページやLINEの画面もグレースケールとなった。遠く日本でも、ちょうど国王崩御から一ヶ月後の日に目黒を訪れた際、タイ王国大使館近くで献花に訪れたらしい在日タイ人の喪服の集団に遭遇した。東京でオレンジ色の袈裟を着た本場の僧侶を数名伴っていたので、非常に印象に残ったのを記憶している。
そして私たちが訪タイした今回、2017年8月は、まだ喪が明ける前であったため到着した空港から滞在したホテルのロビー、サイアムやシーロムに点在する各銀行の本店やビジネスタワー、チャオプラヤー川に臨むそれぞれの仏教寺院、ビクトリーモニュメントやルンピニー公園などにある国王像の前など、多くの様々な場所に祭壇が設けられていた。本来シャイなはずのタイ人が、ルンピニー公園前を通過中のBTSスカイトレインの車内から、周囲の目を気にすること無く窓越しに祭壇に向けて静かに手を合わせていた光景は印象的だった。
プミポン国王の人気の理由の一つとして「ロイヤルプロジェクト」と呼ばれる地方経済の活性化プログラムを推進したことが挙げられる。主に貧困層の多い農村部の支援のために農業・医療・教育に注がれる支援が中心だが、魅力のある商品開発を王室が率先して牽引している事も特長。
そのプログラムの一つ、SACICT(タイ国アート&クラフト国際支援センター)は、タイの工芸品の開発と振興のために設立された団体。学者やデザイナーとタイの伝統工芸・民芸の世界を橋渡ししながら世界にも訴えることができるトレンド感のある商品開発を支援している。本部はバンコクの北の郊外アユタヤに所在している。この活動はプミポン国王婦人、シリキット王妃の支援を受けて設立された。いわゆる山岳民族や農民のつくる民芸然とした朴訥さとは無縁の、センス溢れる手仕事の数々を見ることができる。経済的弱者である彼らに継続的に仕事=現金収入を得るきっかけとして、非常に有効に機能しているプログラムである。
数日を商品仕入れのために熱気溢れるマーケットで過ごし、気がつけば帰国の日を迎えたが、もう一つのバンコクの顔も見ておかなければならない。ノスタルジーは大好きだが、昔らしさが残る地域だけを見て、何も変わらなかったと安心して帰ってしまっても土産話にはならないだろう。出発までの半日を利用して、東側の新しいバンコク、スクンビットエリアへ向かった。
20年前の旅の際、最終的に落ち着いたのがこの界隈だった。原色のバンコクを拒絶した私がなんとか居場所を見いだせたのは、このエリアが外国大使館が多く所在するフラットな場所だからだった。東京で言えば西麻布界隈のような空気を持つ治外法権、無国籍地帯だ。いわゆる租界だけにそこがタイ・バンコクである理由も無かったし、それが安心できた。そして高架鉄道が空を走り、無許可屋台が撤去され、高層ビルが林立した現代。見違えるほどに発展したメガロポリスが出来上がっていた。
スクンビット通りに空は無くなっていた。高架鉄道が空を塞ぎ、そこには昔も今も変わらない微動だにしない渋滞中の道路と排気ガス。歩道にたくさん出ていたはずの様々な屋台やテントは一掃されて、代わりに巨大なショッピングモールの建物が両脇狭しと立ち並んでいる。歩行者は高架鉄道下のペデストリアンデッキから各ショッピングモールへ直接出入りできるように設計されており、デッキ上にはご丁寧に両替所やスィーツショップが等間隔に並んでいる。それぞれのショッピングモールには大きな街頭ビジョンが掲げられており、電車待ちの駅ホームの乗客へ向けてそれぞれが勝手な映像を勝手に流すため、周囲の騒がしさも倍増している。非常に忙しい都会の光景、疲れる世界観が広がっていた。
Phrom Phong駅は駐在日本人が多く住むエリアの玄関口。Emporiumという高級ショッピングモールが駅と直結している。明らかに高所得者層のための商業施設であり、店舗構成や設備のグレードからしても何ら遜色ない、ドバイモールや香港のIFCモールと同じ世界観が広がる。ここの5階にある高級スーパーマーケットは、日本とまったく同じ商品構成であり少し面食らった。
タイにはおよそ1,700社(JETRO調べ)の日本企業が進出し、その主体は主に製造業。特に自動車についてはASEAN市場向け車種の大半をここタイで生産している。(日本向けでも日産マーチなどは現行モデルから完全にタイ製に移行している)自動車や家電も含め、巨大なASEAN市場の成長にビジネスチャンスをかけた70,337人(JETRO調べ)の企業戦士とその家族たち在留邦人が、この都市で戦っているのだ。
隣駅のアソークにあるTerminal21というショッピングモールは装飾が特徴的。各フロアごとのテーマが「世界の都市」なのである。例えば1階は東京、2階はロンドン、3階はイスタンブールで各フロア間の案内版はピクトグラムなどを空港にあるものとデザイン共有している。特に面白いのは各階のトイレだ。2階のトイレはテーマのロンドンにあわせて地下鉄(チューブ)がモチーフ。1階は東京なので蔵屋敷の土塀や行灯が飾られているなど。このテーマ性がウケて、バンコクでも屈指の人気を誇るショッピングモールになっているそうだ。
帰路便はスワンナプーム発が夜の19時半。2時間の余裕をみて空港に17時半に到着すれば安全だ。さらに余裕を見て市内中心を16時に出発すれば優秀、これ以上の安全策はないだろう。荷物の多さとエアポート・レール・リンクの車内混雑をあらかじめ聞いていたので、流しのタクシーを見つけ乗り込んだ。ドライバーはメーターを倒そうとせず、ラッシュアワーを理由に空港まで1,000バーツを吹っかけてきた。それは高過ぎだ安いだ何やらがあり、押し問答の末に500バーツまで値切りなんとか交渉成立。
が...。微動だにしない。いや、目前の信号機が10分経っても変わらない(タイでは渋滞時に警察官が信号機の自動プログラムを意図的に変えることが多いらしい...何ということか...)。時計を見ながら焦りだけが増していく...。30分経ってやっと50メートル先の交差点を脱出。空港方面のハイウェイとは反対方向ながら高速入口を目指して走り出す。そして空港行きの分岐路に差しかかった。が、...もうその先も延々と大渋滞なのである。ドライバー氏も責任を抱えているので彼なりに打開策を考えてくれ、渋滞している分岐路には入らずにそのままドンムアン方向へ北上。やがて高速を降りて遠回りながら郊外の道からアプローチする方法を考えてくれているようだが...。またその先が動かない...。時間だけが刻々と過ぎていく...。ドライバーももはやお手上げの表情とともに、客に断りも無しにタバコを吸い出す始末だ。結果としてまた来た道をバンコク中心部へそろりそろりと戻る判断となり、いよいよタイムアップ。17時半時点でエアポート・レール・リンクのRatchaprarop駅直下に到着。ドライバーに罪は無いので当初の取り決め通り500バーツを渡し、改札口へと階段を駆け上がった...。
結果、1時間30分と500バーツをかけて直線距離で800メートルしか移動出来なかったのである!運良く列車はすぐに来てくれたが、空港でのチェックインは当然ギリギリ。出国審査場でも大渋滞に見舞われ40分程度ロスし、搭乗ゲートは広大なスワンナプームの遥か遠方C9...。もはや笑うしか無い。不名誉ながら搭乗リストのラスト数人にノミネートされ、終始走って最後は案内係に追い立てられる始末。機上の人となった。
やはりバンコクは肌に合わない。